宇崎ちゃんの「第一弾と第二弾の違い」の説明を試みる

『宇崎ちゃんは遊びたい』献血コラボの件。
第一弾と第二弾の何が違うのかわからない人、の中で本心から何が変わったのか知りたい人に向けて書いた。


①フェミVSオタク、ではないという話

本題に入る前の前提として。
フェミニスト=性嫌悪=女=前回のポスター批判派=表現規制派=アンチオタク=ミサンドリスト=左翼】

対立

【オタク=スケベ=男=前回のポスター肯定派=表現の自由を重視派=アンチフェミ=インセル=ミソジニスト=右翼】
・・・ではない。そんな構図はない。
もちろん重なる部分が無いわけではないが、しかしそれぞれの属性をイコールで結びつけることは単純に誤りであり、このような大いなる対立軸も存在しない。
ここで「あたりめーだろ」と思った人は後段まで飛ばしていい。だが「え、違うの?」という人はよく読んでほしい。

そもそも人は一人一人異なる価値観、感覚、考えを持っている。ヒトが二人いれば、何かに対する意見が一致することもあるし、別の問題については対立することもある。
宇崎ちゃんのポスター(献血コラボ第一弾)を見て不快になる人もいればそうじゃない人もいるし、問題があると思う人もいればそうじゃない人もいる。不快に感じた人が皆フェミニストになるわけじゃないし、不快に感じなかった人が即ちオタクなるわけでもない。「自分は不快になるけど問題はないんじゃない」と言う人もいれば、「自分は不快にならないけど問題はあるよね」と言う人もいる。
「あの絵はエロいから問題だ」、「エロいけどそれの何が悪いんだ」、「絵はエロくないけど他に問題がある」、「少しもエロくないから問題ない」、いろんな意見がある。当然「エロい(性的)と認識する表現」にも個人差がある。その個々人の「感覚」自体に正解不正解は無い。

「問題がある」と思う人の中にも、構図が問題だと考える人もいれば、表情が、服の表現が、台詞が、掲示場所が、掲示方法が、そもそも景品を渡すということが問題だと考える人もいる。そのどれか一つだけを問題視する人もいれば、全部を変える必要があると思う人もいる。
そう思うに至る理由も、じゃあどう改善されれば良いと思うのかも、人それぞれだ。
「でも、人それぞれじゃ困るんだよ」と思うだろうか?しかし批判派、あるいは肯定派でも意見を完全に一致させることは不可能だ。だって我々は異なる人間だから。それぞれに異なった人生経験があり、それに基づく価値観がある。仮にある部分では一致しても、他の部分で同意できるとは限らない。

ブクマやSNSでは、批判派を「フェミの意見がバラバラ」「フェミはゴールポストをお気持ちで動かす」と揶揄する人がいるが、まず宇崎ちゃんのポスターを批判した人=全員フェミニストではないし、仮にフェミニストを自称している人に限ったって、個別の事象に対する考えが全て同じ(でなければならない)なわけがない。

そもそも〇〇イストというのは、〇〇イズム、つまり何らかの体系だった主義を主義とする人のことだ。他の〇〇イスト、例えばポピュリスト、エコノミストファシストマルキスト、ブディスト、ヒューマニスト、リアリスト、ミニマリスト、、、と、まぁ何でもいいけど、彼らはただある一定の考えや思想の土台を共有してるだけで、個別の事象にいつも同意見ではないことは簡単に理解できるだろう。

ただ確かに、「批判するなら基準を示してほしい」という願いは理解できる。しかし市井の個々人が基準を考え・協議し・まとめ上げる筋合いもなければ、規定する権力も無い。
その基準を求める先は「権力者」である。クリエイターや編集者が本当に困るのは、「上」からのガイドラインが無く、基準が曖昧なのに、表現規制について恣意的な運用をされてしまうことだ。


ガイドラインを作るのは組織であり権力者である、という話

ガイドライン(指針、基準)を作るのは、例えばBPO(放送倫理委員会)であり、映倫映画倫理委員会)であり、CEROコンピュータエンターテインメントレーティング機構)であり、各メディアであり、各企業であり、あるいは地方自治体であり、都道府県知事であり、国である。

彼らには「何かを制定する権力」があり、「基準を示す義務」があり、「批判に対応する筋合い」がある。
国民の声を掬い上げ、基準を制定するのはそういった組織の仕事だ。「弾圧」だの「規制」だのをやろうと思えば出来てしまえるのは、権力者だ。決して「ツイフェミ」ではない。


③宇崎ちゃんの献血コラボ第一弾では、何が問題視されていたか

(先に言っておくが、下記はあくまでも「私の観測範囲」「私の視座」からキャッチできた「批判側」「何かを問題視していた側」の意見である。この文章が伝えたいことの目的として両論表記する意味がないから肯定側の意見を載せていないのであって、それは肯定側の意見の否定を意味していない。)

◎乳袋について
・乳袋が描かれている
・乳袋とは(男性向け)エロコンテンツの表現手法であり、エロコンテンツではないものの広告に使用するのは相応しくない
・カフェバイトで着る襟付きのシャツというのは通常身体に張り付く生地ではなく、あれはキャラクターの乳房を強調する表現である
・こういった表現は女性の身体の一部をアイキャッチに使っており、女性のモノ化、性的搾取にあたる

◎表情について
・頬を赤らめ、困り眉にする意味がわからない
・二次絵のコードを知らない人には所謂アヘ顔と似て見える
・あの表現は直接的なエロ表現ではないが、性的なコードを含んでいる
・エロくは無いが、煽るような表情は献血の広告に相応しくない

◎構図について
・ポスターの中央に乳房を置き、右手も左手もプレートも不自然に乳房と被らない位置に置かれている。プレートはパフェが乗ってるのに斜めになっていて、胸を強調する意図が感じられる
・パフェと飲み物を運んでるにもかかわらず、胸を突き出して腰を曲げた不自然な姿勢である
・乳房の大きいキャラクターを魅力的に描いたコンテンツの絵としてはおかしくないが、公共に貼る献血のポスターとしては不自然な構図

◎台詞について
献血未経験であることを馬鹿にした台詞である
献血が出来ないケースには様々な事情があるにもかかわらず、無責任で不適切な煽りをしている
・作品を知らない人は彼女のキャラクターやセンパイとの関係性も知らないため、広告を見た人を煽る構図になってしまっている

掲示について
・景品、ノベルティとして希望者に配るなら問題ないが、ポスターとして掲示するのは問題だと感じる
・駅構内の壁に貼り出すには不適切な絵柄だ(嫌なら見るなが通用しない)

以上、主だった意見はこんなところだろうか。なお、本件で「作者/作品自体を責めている」「巨乳キャラクター自体を批判してる」かつ「自称フェミニスト」というのは、私の観測範囲からは観測できなかった。
が、仮にそのような人が居るとすれば、それはフェミズムと相反する考えであるし、その人がフェミニストでないとしても間違った筋違いの批判だと思う。


④第二弾で何が変わったのか

◎乳袋→消えた。もちろん多少乳房を強調する塗りではあるが、無茶な張り付き方をしていない。「現実には有り得ない表現」から、「現実に乳房が大きくてウエストが細い人がストレッチの効く柔らかい素材の服をピッタリサイズで着た時の影の入り方」に近づいてる。(具体的には、乳袋が批判されてる文脈でよく出てくる「いや、現実でも巨乳だと乳袋は出来ちゃうんですよ!」と主張する人が持ってくる、別に乳袋ではない画像、に近い)

◎表情→煽りと媚態が混ざったような表情から、活き活きした覇気のある表情になっている。(ヲタ視点から言えば、この表情は「自分はこの日献血しないのに、センパイが献血することに対して勇ましく決めポーズしてるアホの子ムーブ」の一環だと思うので、それはそれでまた別の意味合いを帯びてくるけど。)

◎構図→女性の乳房が画面真ん中に大きく表示されてるわけでなく、乳房を強調するための不自然な姿勢になっておらず、献血コラボとして妥当性のあるストーリーに合わせた漫画の構図になっている。

◎台詞→厳密にはやや危ういところもあるが(「この人でかいんで好きなだけ」「針が痛くても泣いたら駄目」「いい歳して」)、キャラクター同士の掛け合いによってツッコミと解説が生まれ、第一弾のような煽りの台詞はなくなっている。 

掲示→詳細未確認。とりあえずクリアファイルの画像を確認したのみで、ポスター掲示の有無/ポスターがあるとすればその場所については不明だが、この第二弾であれば公共に掲示しても問題ないだろうと私個人は感じる。

もちろんこの第二弾の表現にも問題があると感じる人も、不快に感じる人もいるかもしれない。その人はフェミニストかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だけどそれは「フェミニストゴールポストを動かしている」ことを意味しない。
この記事では、単に「第一弾を批判して第二弾を肯定的に見てる人は、どこに違いを見出してるのか」の解説をしたつもりだ。
また「変わった」というのは、作者が前回の批判を受けて何かを変えたという意味ではなく、第二弾で出てきたものが結果として前回の批判箇所を概ねカバーしたものになっているということだ。


⑤第二弾を肯定する人を批判する人のこと
第二弾のコラボがSNSに上がった後の反応で、結構な数の人が(今ホッテントリに上がってる宇崎ちゃんタグ記事のブクマでも、棘のコメント欄でも)「何も変わってないのにフェミが評価を変えたのは何故」「作者がかつての災害被災者だと知って叩けなくなったんだろう」等と、マジで「第一弾も第二弾も変わってないのに」と思っていると知った。それは個人の感想なので人それぞれ、なんだけども、本当に「巨乳のキャラクターが批判されていた」「乳の大きさが問題だった」「男性オタ向けの漫画キャラクターを使ったから批判されていた」と認識していたんだと驚いた。いや、第一弾の段階で、言葉を尽くしてめちゃめちゃ丁寧に説明してる人沢山見たけどな…。でもそれも観測範囲の違いなんだろう。
ただ、もしあなたが何かを恐れているなら(誰かの言葉を借りるなら「フェミのヤクザ論法に権力者が折れて、フェミに言いなりの表現規制ガイドラインを作ること」を恐れているなら)、フェミニスト叩きではなく、一つ一つの表現に対して「なぜこの表現は問題が無いのか」に言葉を尽くすべきだと思うよ。


2020.02.03.19:47 追記。
ブコメ変更されると辻褄が合わなくなっちゃうので、コピペしますね。

id:yujimi-daifuku-2222 「全く逆で、法に触れていない絵を公的には不適切と断罪するならば、断罪する側が言葉を尽くすべきです。/この記事でも様々な解釈がある中で、規制に値するとの解釈がなぜ妥当するのかが全く論証されていません。 」
→うーんと、そもそも僕は今回の件で「規制に値するとの解釈が妥当である」とも「その根拠を論証します」とも主張してないので、書いてないことを読み取られても困ります。
最初に書いた通り、あくまでも「何が変わったかわからない、説明してほしい」と言ってる人(ブコメと棘のコメに複数確認しました)に、「批判→肯定に評価が変わった人は、こういう部分を見ている(と主張してるのを確認した)よ」と説明したんです。
ちなみにあなたが言う「規制」って何ですか?誰が、何を、誰に対して、どのように規制する/させるんですか?
もしも、仮にですよ、「乳房が大きいキャラクターを献血の広告に使うことを国や地方自治体は各企業や団体に対して規制すべきだ」なんて主張してる人がいるなら、僕は間違いなく反対します。だからはじめに【ポスターを批判した人=表現規制派ではない】と前提を置きました。
そして「断罪」ってどういう意味で使ってますか?断罪とは「罪を裁く、有罪と判決を下す」という意味ですよ。例えば裁判所で何らかの判決が下るなら、確かに裁判官がその根拠を述べることは必須ですし、そこでは法に基づく妥当性が示されるべきです。しかし一般人に誰かを「断罪」する資格はありません。比喩的用法なのは理解してますが。
つまり、この記事の前半で書いてるようにSNS上で発言する一個人に「何かを規制する権力」も「断罪する権力」も無いんです。したがって「何かを論証する義務」も「次々現れる反対派を納得させる責任」もありません。
まぁ、今回の(前回のポスターの)件で、「日本赤十字社にあのようなポスターの問題性を理解してほしい」と思った人が日赤に対し正式に抗議をする際、「私が不快だから取り下げろ!」と言うのではなく、言葉を尽くして妥当性のある論証を試みた方がもちろん「何かが伝わる可能性」は上がります。実際そうしたんじゃないかな、詳細は把握してないけど。

id:kotetsu306 「作者がそこまで性的だと思ってない(少なくとも献血コラボにGOする程度には)絵を、一方的に性的認定した上で「作者を叩いてない」ですかー。「君はオレ基準で偏差値40だけど、君が悪いんじゃないよ」みたいな物言い」
→ちょっとこれ何言ってるかよくわかんなかったんですけど、星を集めてるようなので…。そもそも、『宇崎ちゃん〜』は男性向けご都合主義がベースになったコメディ漫画と認識してます。それ自体は(そういう媒体に載ってるだけなら)悪いことではないし、エンタメとして多少のエロが入ってるのは事実ですよね。「宇崎ちゃんは胸がデカイだけでエロいキャラじゃないのに」みたいなしらばっくれ方をするのはむしろ作者に失礼で、作者はあのキャラクターを、作者のフェチを詰め込んだ存在=「エロくて可愛い存在」として描いてると思うんですが(これは個人の感想)。仮に作者が彼女をエロく描いた意図がないとしても、その絵を「性的認定」したら「作者を叩いた」ことになる理屈がよくわかりません…(性的=悪いものという価値観が前提にある人?)

id:augsUK 「"一つ一つの表現に対して「なぜこの表現は問題が無いのか」に言葉を尽くすべき"フェミニズムは「無罪の証明」を強要する思想ということで固定していいの?先に規制したい線引きを統一して客観的に明示すべきだった。 」
→長いし全文読めとは言わないけど、わざわざブコメで問いかけるなら全文読んでくれてるんだよね…?批判側=全員フェミというのは誤った先入観だから捨ててほしい。
そして結語が誤解を生みやすいものだったのは認める。最後の文は「自分が守りたい表現が既に(フェミニストに限らず、誰かから)批判されている」という前提があっての話。

id:AKIMOTO 「違う成果物が違うのは当たり前。違う部分の間に「ここから先は問題」の線を万人が同じように引けるという考え方が変。線の同じ側に第一第二が来る人にとっては「何言ってるの」感しかない」
→これは何に対する意見なのか迷ったけど、基本的に僕も同じ考え。この記事で試みたのは「批判→賛成に転じた人は、だいたいこのへんに線を引いてるみたいよ」という紹介。で、更に言いたかったのは「一本の基準線をフェミ軍とオタク軍で押し合ってるわけじゃなくて、万人に万人の価値基準があるんだから、ある個人が何らかの属性を代表して基準を示すのは無理だし、それを相手方に求めるのもナンセンス(その基準を示すのは一般の個人ではなく、組織や権力者の仕事)」ということ。

id:babi1234567890 「不誠実な物言い。「国民の声を掬い上げ、基準を制定するのはそういった組織の仕事だ。「弾圧」だの「規制」だのをやろうと思えば出来てしまえるのは、権力者だ。決して「ツイフェミ」ではない」」
→ここまで書いて不誠実と言われるのは喰らうわ。どういう物言いなら誠実と思えるのか教えて。「フェミ側」が具体的な基準を統一見解として出せないと断言するのが、逃げてるようで卑怯ってこと?だとすればそれは文章の前半で「フェミ側」という認識から否定したつもりなんだけど。

id:July1st2017 「宇崎ちゃんは変わってない。 https://mobile.twitter.com/syokumutaiman/status/1223854548499910657 炎上したから内容を変えたという事実はない」
id:weekly_utaran 「それでは、こちらのツイートをご確認下さい。https://twitter.com/syokumutaiman/status/1224036010977189889  」
→どうせこの話出てくるだろうなと思って先に書いといたんだけど、読んでくれてないのかなー。元々「作者が前回の批判を受けて何かを変えたという意味ではなく、第二弾で出てきたものが結果として前回の批判箇所を概ねカバーしたものになっているということ」と書いてるよ。作者の意図がどうであろうと、乳袋が気になっていた人は乳袋の描写が無くなれば(無くなったと認識したら)「良くなった」と捉えるし、煽り表情が問題だと主張してた人は煽り表情がなくなってれば「変わった」と認識するよねって話。
個人の意見として「宇崎ちゃんというキャラクターの本質や姿かたち」や「『宇崎ちゃんは遊びたい』という漫画の世界観」は第一弾と第二弾とで実際変わってないと思うし、変える必要もないと思うよ。
一応「第一弾の批判が作者に(日赤に、ではなく)通じたから第二弾が改善された」という認識の人がSNS上に存在してることは確認している。ただ俺はそう思ってないし言ってないので、それを勝利宣言かの如くここでブコメされても困る。


2020.02.04.20:05 追記②

id:Hige2323 「全く漫画表現における文脈が理解出来ていない/"乳袋"解釈に幅があり乳袋と判定され得るが、前回と今回で賛否が入れ替わるレベルで表現方法に差があるとは思えん/"アヘ顔"あれがそう見える奴は眼科行け、知ったかすんな 」
→お前が「漫画表現における文脈が理解できてる」のはわかった、しかし世間には同じ文脈を共有している人ばかりではない、という話をしている。
お前が「乳袋表現に差があるとは思えん」のはわかった、だけど「差があると思う人も居て、その人は第一弾と第二弾に変化があったと捉えている」という話をしている。
お前が「第一弾の表情はアヘ顔ではない」と認識していることはわかった(俺だって思ってねーよ)、だが「コードを共有していなければ、アヘ顔との共通点を見出す人もいる」という話をしている。つーか「知らない人には」と言ってるのに対して「知ったかすんな」はおかしいだろ。
とりあえず自分と他者が異なる存在であるということと、論理学を学んでほしい。

id:CelestialFire 「確かに違いはありますが、第一弾の「献血ボイコット運動すら起きる、作品や作者を社会的に抹殺しかねないレベルのフルボッコ」から、一気に手のひら返して大絶賛になるほど相違点は重大なのか? という話ですよ。」
→批判派を批判する文脈で献血ボイコット運動を持ち出す人、twitterで散見されましたけど、それよもぎ団子氏の発言ですよね?発言直後に全方位から叩かれてたし、俺も批判したし、そんな「運動」起こってないですよね?起こりそうな空気すらなく彼がフルボッコされてましたよ(外野の悪ノリ除く)。そんなの皮肉でも言っちゃいけないことだもの。よもぎ団子氏はフェミニズムを勉強中のアラサー男性らしいですが、ボイコット発言の後も彼の発言を注視してる人は(僕の観測範囲では)多いです。危なっかしいし。んで、個人の、すこぶる批判されてた発言を批判側でひとまとめにするのは無理筋じゃないですか?って話をしてます。一つの集団が-1000の評価を一気に+1000にひっくり返した、みたいな認識は認知の歪みです。