BL無罪、ではない

先日、BL関連の創作物について、なかなか目に余る広告を目にした。
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コミックシーモア社が運営してる、PR用アカウントらしい。
なんというか…正直しんどい。「えちい!!!」じゃねーよ。既に数人から批判されてるのにそれを見てないのか無視してるのか不明だけど、ほんとこれ、駄目ですよ。

以下の主張は作品に対する批判ではなくて、「こーいうモンを全世界・全年齢に向けて公開PRすなよ」という批判である。
なお上記で紹介されている作品に限らず際どい作品が他にもあったので、それらを含めての話。

①異性なら許されないのに同性間なら許されるセクハラなんて無い。そこに加害者と被害者の性別は関係ない。セクハラはセクハラだしパワハラパワハラ。それがエロコンテンツとして描かれているものを、広告として垂れ流すな。

②弱みを握って性行為に至るのはハラスメントであり加害であり犯罪であり、どクズのすること。どんなジェンダーの組み合わせでも同じ。それをエロコンテンツとして(以下略)

③未成年者は保護の対象。少なくとも18歳以下を性愛の対象として描いていて、その作品が全年齢対象なら、それは作中でインモラルなこととして描かれるべき。またその作品の宣伝において未成年者の身体や、未成年者との性的な絡みを広告のアイキャッチャーにしてはならない。登場人物がいかなるジェンダーでも。

④好いている同士なら何をしてもいいわけではない。どんなジェンダーの組み合わせでも同じこと。たとえ両思いでも恋人でも、相手が嫌だと言ったらやめるべきだし、相手の身体は本人の物なので合意なく触ってはいけない。そのことが「当たり前の認識」じゃない世界観の作品は全年齢向きではないし、その箇所を抜粋して広告にするべきでない。(特に今の日本では。)

⑤同性愛者=ポリアモリーじゃない。どんなジェンダーだって、付き合ってるという共通認識があるなら浮気は駄目(不誠実な行為)だし、誰か一人と結婚したなら他の人との恋愛・性的関係は不倫になる。たとえ一方がAセクやパンセクでも同じ。そういった偏見を生みかねない描写を全年齢でやらないでほしいし、コンテンツとしてPRしないでほしい。

オメガバースとかいう設定は、同性愛をコンテンツとして楽しむための装置であるという自覚を持ってほしい。BLコンテンツを好む人達に都合良く作られた世界であることを忘れないでほしい。
オメガバース設定を好む方は、わざわざそういう設定を用いて、性欲と倫理観の間で苦悩に悶えるゲイを見て楽しみたいんです。嗜好するだけなら個人の自由だけど、ある属性をコンテンツ化してる事実から目を逸らさないで。単なる同性愛を「禁断」として描くことが社会的に難しくなったから、現実にはあり得ない設定を作中に持ってくることは手法としては正しいと思うけど、それによって自分達がどういうものをコンテンツとして欲しているのか、ちゃんと理解してほしい。