「外国人風」「ハーフ顔」という言葉

よく女性誌や化粧品広告で見掛ける、「外国人風」「ハーフ顔」という言葉。
「外国人風ヘアカラー」「ハーフ顔メイク」「外国の子供のようなパーマ」「ハーフ系カラコン」等々。この場合の「外国人」は、確実にコーカソイドを指している。つまり「コーカソイド風」「コーカソイドモンゴロイドのハーフ顔」ということだ。

これらの言葉に含まれるのは、
・色素が薄い
・彫りが深い
・目鼻立ちがハッキリしている
・肌が白い、もしくは白人が日焼けしたようなブロンズ肌
・髪はアッシュブラウンやダークブロンドで、ゆるくウェーブしている
という要素であり、総じてそれはコーカソイドの特徴である。モンゴロイドネグロイド等の特徴は含まれない。

何故だろう?
皆さんご存知のように、外国人という言葉は白人とイコールではない。もちろん、ハーフ(ダブル/ミックス)は、片方の親が白人とは限らない。
美的感覚は人それぞれで、容姿の面で他人種・異文化に憧れる気持ちもわかる。それについては善悪も無いし文句も無いのだが、なぜほぼ「白人」限定の意味を持つものを「外国」と言ってしまうのか。

日本の歴史を考えても、過去に白人ばかりが日本に訪れていたわけではなく、様々な人種・国籍の人々が日本に訪れて、皆「外国人」として接していたはずだ。(植民地支配していた国を含め)

やはり「白人(みたいになりたい)」と言い切ることへの後ろめたさや恥ずかしさがあるのだろうか?

そういえば最近は若い女性の間で韓国のファッションやメイクが流行っているが、韓国人風メイクは外国人風メイクには含まれない。しかし韓国もれっきとした外国である。韓国限定の話を韓国風と呼ぶのに違和感は無いが、「外国」という概念は揺らぐばかりである。

LGBTは土俵に上がれるのか?

能町みね子さんが、今回の土俵問題に言及してるのを見かけて、ふと思ったんだけど。

LGBTの扱いはどうなるのだろうか?

もちろん性別や性自認による差別が無くなるのが一番なんだけど、女性が土俵に上がることについていまだに否定的な方々がいるので、その人達の中でLGBTはどういう扱いなんだろうかと。

否定派の意見を見てると、主に「女性穢れ説」と「女神嫉妬説」 の2つの論拠があるみたいですね。(どちらもハナから差別よな…)

女性穢れ説では、女性そのものか、生理(血液)に対する忌みがあるらしいが、仮に生理があること=穢れだとすると、
生理が無いMtF(男体を持って生まれたが性自認が女性)はセーフ?一部性転換手術をしてても?
逆にFtMはアウト?生理が来ない身体になってたらセーフ?
というか初潮前や閉経後の女性もセーフ?
って話になるし。

女神嫉妬説であれば、神が女体に嫉妬するのか・社会的女性性に嫉妬するのか・男性の性愛対象になる存在に嫉妬するのか、で分かれると思うけど、いずれにしろ
MtFFtMがどういう扱いになるのか?
女を好きな女に嫉妬するのか?
男を好きな男には嫉妬しないのか?
めちゃめちゃ可愛くて美人な女装男子には嫉妬しないのか?
男性に間違われるようなイケメン高身長のクロスドレッサー女子に嫉妬するのか?
あるいは、ゴリゴリのミソジニー思想を持った男性は土俵に上がれるのか?1歩でも上がった瞬間に女神が怒って土俵がひび割れるんじゃないか?
という話になる。

まぁ、たぶんだけど、こんな根拠で女人禁制と言い出す人の頭の中に「多様性」なんて価値観があるわけなくて、「普通の(=シスヘテロ健常の)」男性以外は駄目でーす、って言いそう。

伝統伝統と言うけど結局「普通の男性以外の存在」が伝統的に無視されてきた(差別されてきた)だけなんですよね。なんとか変わっていってほしいなぁ。

猫の去勢は100%人間の都合でしょ

今週のお題「ねこ」

猫の去勢や避妊手術を、「猫のため」に行ってる、と主張する人がいるが
それはさすがに「人間の都合」だろう。

増えても飼えないから、それは人間の都合。
野良猫が増えるから、それは人間の都合。
愛玩動物として進化したから、それは人間の都合。
産めないのに発情期があって苦しむのは可哀想だから、それも人間の都合。
結果として保健所に連れていかれる猫が増える、それこそ人間の都合。

猫は野良でも生きられるのであって、野良だと人に飼われているより危険もあり短命になるかもしれないが、それが自然な状態だ。
そこら辺に糞尿があって死骸があっても、それが自然な状態だ。
別にそれがいいとか悪いとか言うつもりはない。たぶん現代日本では、街がその状態であることを好まない人が多くて、だから人間の都合で動物をコントロールしてる、それだけのこと。

ただ、「猫のため」というのはあまりにも傲慢だよね。
あなたが、自分の意思と無関係に、知らないうちに去勢されて受け入れられるのか?自分の意思と無関係に、子供を産めない身体にされたらどうなのか。
最近、過去の日本における強制不妊の問題が話題になってたけど。
自分の意思と無関係に、正常な臓器の機能を奪われたら。あるいは自分ではなくて自分の子供や兄弟が、引き離された先で勝手にそういうことをされていたら。
そんなのは、全部相手方の都合でしかないよね。

ひとつには「自分の意思と無関係に」という問題がある。
猫には意思があるか、感情があるか、それはわからない。
科学の定義や言葉の定義もあるんだろうけど、でも、とにかく本人…本猫自身の意思や感情があると仮定して、その了解を取ってないことは確実だよね。意思や感情が無いと仮定しても、やはり同じことで、了解を取り得ないことが確実となる。

いや、わかってるよ、なんだってそうだよ。
殺して食べることも、
動物園に軟禁することも、
歯や骨や毛や革を利用することも、
人間の薬の実験台にすることも、
乗るために飼うことも、
乳や卵のために飼うことも、
防犯のために飼うことも、
ただ可愛がりたいために飼うことも
全部一緒、つまり、人間の都合。
人間の都合、人間の業、強者の持論。
それでいいじゃん。

「お妊婦様」て。

news.yahoo.co.jp

 

筆者の経歴を見ると、立派で勇気ある行動的な人のようだが、「お妊婦様」ってなんなんだ。なんて下品な言語感覚なんだろうか。
大体、皮肉抜きに妊婦は皆「お妊婦様」である。現在の危機的な少子高齢化の、子供を育てやすいとはとても言えない、格差は広がり給与は上がらないこの日本で、それでも子供を産もうとしているのだ。当然、本人達の身体も人生も全て本人のものだが、産むも産まぬも本人の自由だからこそ、行政は(国家や自治体を維持したいのであれば)その決断をサポートするべきなのである。彼女達によって種が存続するのだから、共同体が妊婦を支えるのは当たり前のことで、自分の命をかけて新しい命を産むのだから、全てにおいて自己都合・自分優先でいいはずだ。
社会が率先して「お妊婦様」扱いするべきなのに、実際にはベビーカーすら邪魔者扱いされてるのが日本の現状だろう。お大尽様よりもお妊婦様を優先せよ、と「お大尽様」が言うべきではないのか。
(これは子供を持たない/持てない人が軽んじられても良いという意味ではなくて、各人の人生で負荷がかかる時期を互いにサポートしようという話と、共同体の構成員を増やし得る/保護し得る行動は共同体でサポートしようという話である)

記事の本文中に<仕事や周囲への気遣いをせずに過剰な権利意識で職場に迷惑を掛けたり>とあるが、妊婦が自分の身体と子供のことだけに集中できるようにしてあげるのが成熟した社会だろう。プリミティブな社会でもそうだったかもしれないが。
職場で人員の増減や入れ替わりがあれば、なんとかするのは経営者やマネージャーの仕事であって、人の営み(女の、ではない)に妊娠出産育児はつきものなのだから、会社がそれを想定外の出来事と捉えることが間違っているのだ。

様々な社会問題に絡めて、ネットではよく<権利ばかりを主張>するというワードが散見されるが、「ばかり」ってなんだろうか?自分が生きていくため、生きやすくするために権利を主張することは何も悪いことではない。誰かの権利と誰かの権利がぶつかれば司法の出番となるだけだ。そして産休育休の制度を利用することは誰の権利も侵害していない。

そもそもなぜ「自分のタイミングで復職」したらいけないのか。
<仕事しながら子育てする女性は、みんな大変だ。中には大変でも、保育園が決まるとともにきちんと復帰する女性もいる。大変だからといって、すべての女性がこのようなことをするとどうなるか>とあるが、女性に限らず、全ての人が自分の人生のタイミングに合わせて働けたらそれが理想じゃないか。
「皆大変」でも、その大変さは一人一人異なる。筆者の経歴を見る限り、そんなことは十分ご承知のはずだ。
育児で言えば、子供が第一子である/兄弟がいるとか、夜泣きするかどうか、何らかの障害や病気を抱えているかどうか、頼れる親族知人がいるかどうか、自分の産後の体調がどのように回復するか/しないか、自分が10代か20代か30代か40代か、夫(夫の会社)が主体的である/協力的である/理解が無いかどうか、世帯年収がいくらか、自治体のサポートがどの程度か、会社への復職がどの程度困難/容易なのか、退職したら再就職はできるのかどうか、等々。
もちろん育児以外にも怪我や病気や介護など、全ての人にそれぞれ違った大変さがあるからこそ、各人のタイミングで働けることは誰にとっても助かることなのではないか。

というかね、保育園に<わざと落ちる>とあるけど、受験で白紙回答するのとはワケが違うわけですよ。ちゃんと申請してるんだから。そもそも認可に落ちなければこういう話にはならない。通える範囲の・通える料金の・通いたい保育園に入れることが確実でないんだから、誰も先のタイミングなんて読めない。

また「社会人としての常識が無い人」は、 その人が社会人としての常識が無い人である、というだけのことでしかない。不正需給だのモンスターだの悪意ある妊婦が増えているような印象操作は止めていただきたい。

ある人が自分の権利を主張したり、法的に認められている制度を活用することをハラスメントと呼ぶな。
ハラスメントはハラスメントをする人が悪いのであって、育休後に復職しない人は、育休後に働き続けたい人の敵ではない。

表現の自由と児童の性的搾取

togetter.com

あのさぁ……
創作でもダメに決まってんじゃん。
男児でもダメに決まってんじゃん、小学生だろうと中学生だろうと高校生だろうとダメに決まってんじゃん。
いい加減にしろよ。男の子ならおっぱいも合法だとか、ふざけるなよ。なんで子供を性的対象としてはいけないという建前が理解できないんだ。
子供っていうのは、大人が性的対象にしたらいけない存在なんだ。それは社会が子供を守るためであって、子供自身がこの世界で安心して生きていくために必要な了解なんだよ。それが大人の良識だろ。

内心で思うのはいいよ、性的に反応してしまうのも仕方ない、だけどその欲望を肯定的に描いたものをネットでオープンに共有すな。
鍵無しのツイートは全世界に発信してるのと同じなんだよ。

だいたい、密室に二人きりで性交体位の真似事をさせて、胸を触らせて、何がどう「健全」なんだ?
こないだも、盗撮教師と女児のゲームを作った作者が「非扇情的なのに」と同じような事を言ってたけども。
詭弁はやめようよ。
作者さん達は誰に何がどう響くのか一番よくわかっているでしょう。わかっていてすっとぼけるのをネタとしてやってんの?
まぁ「健全」は要するに、耳かきとかお散歩とかリフレとか、そういう現実のサービス業の謳い文句をネタとして使ってるんだろうけど、現実に日本では未成年者の性的搾取が「詭弁とすっとぼけ」によって罷り通ってることを忘れないでほしい。

あと、こういう創作物に対して批判が出ると必ず「現実と創作の区別が~」「読解力が~」というコメントがつくけれども、まず創作物は人間の現実認識に影響を及ぼすんだよ。
スポーツ漫画を読んでそのスポーツをやりたくなったり、漫画や映画を通して自分のフェチが形成されたり、現実には知らなかった物事に創作物を通して触れて、いいな、嫌だな、と感じた経験あるでしょう。
あるいは、作為的なまとめに触れ続けて特定の国や属性を嫌悪するようになった人なんてそこら中にいるわけで。そういう人は例えば、特定の国の人が何かをやらかした、というフェイクニュースを見てもそれをそのまま信じるし、フェイクとわかった後も「でも○○人ならやりそうなことだ」って言うよね。
ここまで書くと誰と戦ってんの、って笑われそうだけど、はてなやtogetterを目にする人ならすっとぼけないで認めてくれるだろう。
そういう現実、現状が、あるよね?

それはそれとして、単純に創作物を現実と誤認してしまう人は確かにいる。その分野に対するリテラシーが低いとか、創作物自体の表現が巧妙だったとか、単に若くて判別に足る人生経験が無いとか、色々あるだろうけど。
だからこそ、「それが現実だとしたら問題がある」ような創作物には、 「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」の文言が必要なんだよ。

サンタさんを信じてた子供が、一朝一夕で「読解力」とタグ付けできるようになるわけじゃない。 35歳のあなたがコメント欄で嘲笑ってるその相手は12歳かもしれない。 受け手の認知能力、判断力、読解力なんかは千差万別で、だから最低限ゾーニングやレイティングが必要なんだ。

表現の自由が大切だと思う人こそ、創作物の持つ力を侮らないでほしい。
小児性愛者こそ、実在の児童をいかにして守るか、ということを考えてくれ。

表現の自由と性犯罪

性犯罪漫画の手口を真似て性犯罪が行われた事件に関し、警察が当該漫画の作者に申し入れした件について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170613-00010004-saitama-l11

大前提として、創作物には影響力がある。

現実と創作、二次元と三次元は無関係ではない。(ここでいう現実とは人間の考えや行動、暮らし、その年代の空気、倫理や価値観、法律、社会を構成する集団等、現実の社会そのもののこと。)
創作物には現実が反映されるし、現実は創作物から影響を受け得る。特に個人は容易に影響を受ける。
したがって、創作物を社会に出した作者には、その内容に対し一定の社会的責任がある。
自由は免責のことではない。

ヴォルテールの名言※とされる 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」は、政治的立場の違いや思想・学術的場面における意見の対立についての姿勢であって、糞みたいな罵詈雑言や差別や、まして性犯罪を楽しむ表現等のために引用するのは間違いである。
※実際には彼の言葉ではなく、彼の態度・姿勢を他者がこう評した可能性が高いそうです。

「特定の属性が加害される表現(あるいは特定の属性が悪く描かれる表現)」は特に慎重に扱われなければならない。なぜならその描写によっては、その特定の属性を持った個人・集団が損害を被るから。

大人は子供を守るべきであり、子供は保護の対象である。たとえ建前でもその建前は社会で共有されねばならない。

今回の事件では、実際に複数の児童が被害に遭っている。今後同種の事件を未然に防ぐにはどうしたら良いか?警察はそれを考えて行動に出た。
表現の自由!弾圧!規制反対!と警察を叩く前に、あなたが一人の大人として何か考えられることはあるか?
創作と現実は無関係と言い張るならそれでもいいが、被害児童とその親に「何をどうしようと頭のおかしい奴は常にいる、犯罪は防ぎようがない」以外に言えることはあるか。
「同人じゃなく大手商業ならどうなんだ」「漫画じゃなくテレビならどうなんだ」「ミステリーの殺人はどうなるんだ」ではなくて、一人でも被害者を増やさないために、何か策はあるか。

聖書とか神話って、だいたい男が考えて男が伝承してきたものだよね

聖書とか、神話って、だいたい男が考えて男が伝承していったよね、という仮説の殴り書き。

①男「男は女から生まれてくるが、なんとかして女に先立ちたい。だから原初は男の一部から女が生まれたことにしよう。」→『神がまず男を作り、男の一部から女を作る。あるいは男が女を作る。』(ユダヤイスラム、キリスト、ヒンドゥーにおける「はじまりの男女」の物語)
……これが根本的に無理筋。男も女も女体から産まれてくるという圧倒的現実への対抗として捻り出されたお話がこれ。いじらしさすら感じる。

②男「女とヤりたいけど、俺の中にその感情が生まれたのは、先に女が誘惑したからだ。女が誘惑しなければ平和に暮らせていたはずだ。最初に女が男を誘惑するのがいけないんだ。」→『女が神に禁じられた行為をして、更に男を誘惑したため、二人とも楽園を追放される』(アダムとイブ)
……男が女に勝手に欲情したのを、「女がエロいから」「女が誘ったから」ことにしてるだけ。うまく処理することのできなかった感情や行動の原因を他者に転嫁している。それがなぜか、人間の原罪は女の愚かさによって引き起こされたことになっている。
この世に言葉と文字が生まれた当時も、男が女の身体をじろじろ見たり言及したり触ったりしたんだろうなぁ…。当然それを女が拒んだり非難したりするから、「お前らが悪いんやぞ!」って言うためのお話を作ったんだなぁ…。ここ最近の痴漢の話題を思い出すな。

③男「いや、女も生まれた時は男と同様に純粋だったかもしれない。だけど悪い男女に色々吹き込まれて、誘惑に負けてしまうんだろう。だから、悪い女や、俺以外の男を悪魔に設定しとこう。」→『悪がまず女を唆し、女はその誘惑に負けて罪を犯した』(サタン、蛇とイブ)
……「俺は悪くない」のための装置でしかない。神話における最初の人間(男性格)は、要するに書き手・読み手の男が自己を重ねる存在。悪または罪(誘惑)の伝播が蛇→イブ→アダムの構造になっているバージョンでは、「人間」に原罪があると見せかけて実は「俺」の罪(罪責)が一番薄まっている。狡い。

④男「男と対等な立場を望むような女はムカつくから、なんとかして悪魔設定にしよう」→『最初の男女は同時に作られたので、女は男と対等であることを望んだ。しかしそれが叶わないので男のもとを離れた。女は、男の元へ戻らないなら子を殺すと天使に脅されたが、戻らず、子を苦しめる悪魔となった』(リリスの伝承)
……リリスの伝承は色々と混じってるし突っ込みどころ多いんだけど、男女対等を認めないのも、配偶者を脅す/操る/復讐するために「自分の」子を殺すというのも、まぁ女から出てくる発想ではない。
女親の実子殺しはもちろん現実に無いわけではないけど、女も子供も全部object扱いの、交渉材料としての子殺しは女の視点じゃないだろうね。

⑤男「なんかすごい奴がいるから祭り上げたいんだけど、そいつの父親が誰かわからないから母親は処女で生まれたことにしよう」→『マリア、処女懐妊』
……処女懐妊エピは未婚の子、不義の子、または娼婦の子というのを誤魔化すためと言われてるけど。
女体持ちは直観としてこの発想しないような。出産に至るとすれば、相手ありきだし、性交→妊娠→出産は全て自分の身体で・自分の経験として起こる出来事だし。
だいたい「奇蹟」が起こるなら、ヨセフが身籠っても良かったよね。荒唐無稽度合いは変わらんでしょ。

⑥あとはイザナミイザナギ
この男女の神は同時に生まれるんだけど、まず女 (神)が男(神)を誘って交わると障害児が産まれて、逆に男が女を誘うと健常児が産まれる。(障害のある子は海に流す…。)
障害をそういう扱いにするのもアレだし、「女が誘うのが悪い(被害者視点)」と「女から誘うのはよくない(支配者視点)」があるんだなぁ~と、感慨深い絶望を感じる。
イザナミは子を沢山生んで、最後の子を生んだ時に死ぬんだけど、イザナギはその子を殺す。「お前のせいでイザナミが死んだ!」って、最後に生まれた自分の息子を殺すんだよ、やばいよね。
イザナギイザナミのことが忘れられなくて、黄泉の国(あの世)に探しに行く。二人は再会するんだけど、醜く腐ったイザナミを見てイザナギは逃げる。これがもうよくわからない。
本当に愛した人、死んでも会いたい人に再会できたなら、腐ってたって側にいたいと思うのでは?
そんで逃げたイザナギに対して、イザナミは毎日1000人殺すとか言う。イザナギは毎日1500人産むとか言う。
既にイザナギが一人殺してるんだけど。

女は死んで黄泉に閉じ込められ、男一人で子を作り国を作っていく。ちなみにイザナギは最終的に育児放棄しますからね。

うん、確実に男が書いたでしょうこれは。
女側から見たら、
自分がリードした性交時の子は必ず障害があって、沢山子を生んで死んで、子を殺されて、死後の醜い自分を見られて、裏切られて、毎日1000人殺すキラーマシーンになる…なんだそれは…。

怖いのは、国産み・神産みの神話、民族のルーツとしてこれらの話がこの形で現代に残ってるということ。それは時の権力者がこれを遺してきたことを意味する。
「こんなのやばいよなぁ、どーしようもなく馬鹿で自分勝手なストーリーだよなぁ」と感じる有権者が一人でも居たら、近代までに編集・改竄・削除されてるだろうから。

改竄、されてるだろうが、されてこれ。
要するにそういうこと