男性が同性愛者を警戒するのは正当なこと

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当該まとめの、大元のやり取りの真偽については言及しない。ただ、コメント欄や反応ツイートで、ヘテロ男性がゲイ男性に対し「恐い、嫌だ」と感じる感情や警戒心まで否定している方々がいて、それはちょっと違うのではないかと思った。
当該まとめを踏まえて、常々考えていたことを文章化してみる。一切、差別や偏見を肯定・擁護するものではない。ヘテロ男性に、女性と同じだけの警戒心を持つことを許容しようという旨の話である。

以下、一般的な話をする。(全部が全部そうというわけではない。様々な例外については言及しない。男・女はそれぞれ男体持ち・女体持ちと置き換えてもらってもいい)

①性欲の性質の違い:
男は男の性欲の衝動と性質を知っている。それは非常に強い衝動で、愛や恋と無関係ではなくとも、比例の関係にはない。行為としては能動的な欲求が多い(「されたい」よりも「したい」「入れたい」「させたい」等)。
女も女の性欲を知っている。恋愛感情との結び付きが強く、性的対象の幅が男に比べて狭い。受動的欲求であることが多い(「したい」はあっても、具体的な行為としては「こうされたい」が多い)。

そして事実として、性犯罪を犯すのは男の方が圧倒的に多い。

だから目の前に同性愛者がいた時に、男の方が、「自分が狙われるかも」と感じやすいのではないか。女が殆どの男に対して(その人が男である、というだけで)最低限の警戒をしているように。

②力関係の違い:
同人種間・成人・青年~中年に限って言うと、
男から見た女は、「ほぼ自分より力が弱く小さい」。
女から見た男は、「ほぼ自分より力が強く大きい」。
男から見た男は、「自分と対等、または自分より強く大きい可能性もある」。
女から見た女は、「自分と対等、または自分より強く大きいとしても、一般的な男ほどではない」。

したがって、同性から不当な方法で性的に狙われた場合、男と女ではその脅威の程度が全く異なる。

③身体構造の違い:
男→男女では、物理的に自分に穴があって、そこに入れられる性器と体液がある。
女→男女では、 道具なり身体の部位なり入れられる物はあれど、性器は入ってこない。

この点から考えても、女にとっての女は男以下の脅威にしかならない、しかし男にとっての男は女に比べ物にならない脅威である。ただしこの違いは、性的暴力があった場合の被害者の心の傷とは断じて無関係である。(ただ、大半の男にとって、女から性欲を向けられた場合にそれが脅威とはならない。望まない行為による精神的苦痛や社会的脅威はあっても、抵抗敵わず性被害者となる可能性はほぼ無い。)

④経験の違い:
女は不幸にも、概ね年齢が一桁の頃から、自分に向けられる性欲というものについて、自分の中で整理してきていることが多い。少なくとも、そのことについて何も知らず、気づかず、被らないまま大人になれるのはレアケースである。
男はそうではない。
下品な言い方をすれば、ずっと狩る側の性で生きてきたから、狩られる側に回るのは耐えられないのではないか。
見方を変えれば、初めて同性愛者に直面した男は、まるで〈自分がまだ子供なのに、大人の男の性の対象になりうることを知った少女〉のような、絶望的な嫌悪感を感じるのではないか。「わたしはこの人たちにとって、そういう存在であるのだ。この、自分よりも強く大きい人たちに、そういう視線を持たれるということがあるのだ」という気付き、恐怖と嫌悪感。
その感情をうまく操れず、中には、同性愛者を攻撃してしまう人がいるのではないか。(それはいかなる場合にも許されることではない。しかし、被害にあったわけでなくとも、自分にそういう気持ちが向けられた時、あるいは身の回りにそういう人がいると知った時、恐怖や嫌悪感をただ覚えることは、責められることではない。)

男性は同性愛者とみれば警戒態勢を露にする人がいる。それはそれで仕方ないことだと思う。なぜなら女のように、男に対してそういった警戒心を隠しながら接することに慣れていないから。(もちろん、だからと言って非難や侮蔑は絶対に許されない。)

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以上、同性愛者に対する捉え方について、男女間には少なくとも4つの違いがあると私は考える。

冒頭の記事に対する反応で「ゲイがいる=俺が襲われる、と考える男性は、自分が女をいつも性的対象として見てると宣言しているようなもの」という旨の反応が散見されたが、それは大半の男にとってその通りで、男は女を、一人の人間である前に女という性的な存在として見てしまう傾向にある。あるいは、一人の人間として認め・尊重しようとしても、そこから性の要素を削ぎ落とすのは難しかったりする。
だからこそ、同性愛者に対する感覚が異なるのだ。

同性の同性愛者に対する感覚について述べたが、では異性の同性愛者に対する感覚はどうか。
異性愛者の男にとって同性愛者の女は、〈異性愛者の女以上に、自分を恋愛・性的対象として見てくれない〉存在であるが、
女にとって同性愛者の男は、〈自分を性的対象として見ないでくれる〉だけで異性愛者の男よりも安全であり、かつ、〈人間として見てくれる〉可能性のある存在なので、女は男に比べて同性愛に肯定的な人が多いのだと思う。

それから、男女の話。痴漢やセクハラの話が出た時に「お前みたいなのは痴漢されない、自意識過剰だ」と言う人がまれにいるが、それは全く見当外れだ。事実として〈女(の身体)というだけで〉痴漢する男がいる。そして痴漢とそれ以外の男を、被害に遭う前に判別することはできない。ならば、誰も望んでやっているわけではないが、自分を守るために全ての男を警戒するのは仕方ないことだ。

それって、同性愛者の痴漢とヘテロ(ストレート)の男性の関係についても、同じことが言えるのではないか。冒頭の記事の反応の中で、この構造に気づいている人も多かったが、そこで警戒心を持っている男性に対して「ゲイにだって選ぶ権利がある」などと責めるのは間違いだ。〈男(の身体)を持っているというだけで〉ゲイを警戒するのは、女の場合と同じ恐怖感に基づいているのだ、と認識すれば良いのではないか。(元記事の「友人」については擁護の仕様がないが、だからと言って、男性が同性愛者を警戒するのはおかしい、という理屈にはならない。)

近年、LGBTが認知され、知識も深まり、地位も向上してきている。それは非常に喜ばしいことである。ただ、LGBTの人も、LGBTに理解がある人も、他者が感じうる恐怖感や嫌悪感にも気を使ってあげてほしい。
攻撃されたら防御や反撃をするのは当然だが、自分がどこかで攻撃されたからって、別の、防御してるだけの誰かを攻撃しないように気を付けたい。
自戒を込めて。


追記:

こういう言い方はあまり好きではありませんが、便宜上わかりやすく言えば私は性的マイノリティ側です。だから、というわけではありませんが、LGBTが全て違っていて、また性的マイノリティの全てを包括していないことも理解しています。

そしていわゆる一般の男性(男体持ち・性自認男性・異性愛者)が、性の観点から言えばこの社会では一番強い立場に位置しているため、どきどき彼らに対して無意識に攻撃的になってしまったり、あるいは、少しくらいこっちの立場に立ってみろ、と思ってしまうことがあります。

ですが、それは違うと思いこの記事を書きました。

○女性が、男性からの性的関心およびそれに伴う加害行為に「慣れてる」「受け入れている」と書いたつもりはありませんでした。表現が正確でなくすいません。
性的被害に遭って、心に傷を負っても、絶望しても、その傷が癒えなくても、精神面・行動面でなんとか生きていく術を身に付けていく(いかざるを得ない)ということです。その点で一般の成人男性と女性には相当な隔たりがあるということを書きたかった。
「それがそういうものである」とまず認識した上で現実に対処していく、という表現が正しいでしょうか。もちろんそれが上手く出来ない人もいます。だからいっそう、性的被害者を攻撃する人、他者の被害や心情を軽く見る人、被害に遭わないよう防御することを嘲笑う人、が恐ろしいんです。

○文中で意図している「正当な警戒」とは、例えば
・よく知らない相手と密室で二人っきりになることを避ける
・性別の区別があるスペースでバッティングすることを避ける(トイレ、更衣室、銭湯等)
・どの部位であっても身体的接触を避ける
というようなものです。
同性(特に男性)間において、このような警戒をしている方が批難されるケースがありますが、これらについては認められるべきと考えます。

一橋大学の事件についての言及ではありません。