なぜ美少女になりたいのか?

※なぜ美「少」女なのか?という話です。

バ美肉」という文字列を目にした。
バーチャル美少女受肉(おじさん)」のことを指すらしい。検索してみたら、人気のVTuberは軒並み少女またはロリとしてデザインされていて、大体は制服かメイド服のような衣装を着ていた。
なぜ美女ではなくナチュラルに美「少」女なのか、それがずっと気になっている。

美しいものに憧れる気持ちは理解できる、異性になってみたいのも理解できる、しかしなぜ「少」ではなくていけないのか、真剣に考えている。
私も美しいものは好きだ、だから美少女も好きだし、美少年も、美女も、美青年も、美中年も、美老人も好きだ。
だけどVTtuberは一部の馬や人外を除き、少女ばかりだ。そして少女のキャラクターにも関わらず胸部や太ももの強調は欠かさず表現されている。

これはVTuberに限った話ではなくて、日本のアニメ漫画ゲームおよび2.5次元の文化に定着してしまっている問題なんだけど。成人男性が未成年を性的対象にすること、あるいは未成年キャラクターを性的に表現することが普通になりすぎて、皆麻痺してないか?

個人的にはこの風潮って気持ち悪いなとは思うけど、だから描写するなとか規制しろって言いたいんじゃなくて、ただそれがどんどん当たり前の社会になっていくことに不安がある。90年代は、二次でもロリ(未成年キャラに性的記号)を嗜好するのはアウト、キモい、危ない奴という空気があったと記憶してる(自分は子供だったけど、テレビなんかではそうだった)。二次オタが「萌える」と言わなくなった00年代のどこかが分岐点だったのかな?10年代以降はその境界がどんどん曖昧になって、今や大の大人が少女を性的対象とすることを表明しても誰も気にしなくなっている。

そして最近知ったのが「おじさんは美少女になりたいものである」という主張。そんなのはおじさんの一部に過ぎないってことはわかってるんだけど、それにしてもこの主張支持されすぎじゃないか?
『おじさんが美少女に見える眼鏡』や『おっさんが美少女になる夢』の漫画があり、それについての反応をいくつか見かけたが、「少」に突っ込んでる人は確認できなかった。

そこでおじさん(中年男性)が美少女になりたい理由を考えてみたのだが、
①美少女になって美少女と戯れたい
②美少女になって男からちやほやされたい(※少年から、ではない)
③自分の理想の異性になりたい
の3つが大きいかと思う。いずれにしても、少女が成人男性の性的対象であるという前提に成り立っていて、やはりその願望の表明には嫌悪感がある。

何を好きになるのも、嗜好するのも、性的対象とするのも個人の自由なのだが、美女ではなくあえて美少女と表記する際には、それが小児性愛的表現であることを意識していただきたい。