冤罪の恐怖もわかるが、一度痴漢被害者の気持ちを想像してほしい

ここ数日、痴漢と安全ピンについての記事と反応をいくつか目にして、全員一旦被害者の側に立ってほしいんだよなーと思って書いた。

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たとえばの話。

あなたよりもガタイが良くて、普通に喧嘩になったらまず勝てないような相手が居るとする。
あなたが平均的な成人男性の体格であれば、相手は身長190cm体重80kg握力78kgの人としよう。

そんな体格の赤の他人から、朝晩の満員電車の中でケツを触られる、耳や首筋に息を吹き掛けられる、下着のラインをなぞられる、胸を触られる、服の中に手を入れられる…

最初は固まってしまって何も言えず抵抗も出来ず、本来降りるはずじゃなかった駅で降りる、それだけで精一杯だろう。遅刻しないように、気分が優れないまま次の電車に乗るしかない。

あなたはしばらくして再度痴漢に遭う。加害者は前回と別の奴である可能性が高いが、同じ奴の可能性もある。どちらにしろ最悪だ。

性器を揉まれる、相手の性器を擦り付けられる、制服やスーツや鞄に精液をかけられる、ベルトを外される、チャックを下ろされる、下着の中に手が入ってくる、肛門に指突っ込まれる…

勇気を出して「止めてください!」と言っても止めてくれない、「痴漢です!助けて!」と言っても周りの人間は無視、最悪「冤罪?」と呟かれる。

駅に着いて加害者を追及するも、相手は凄んできたり、すっとぼけたり、あなたを侮辱したりするだろう。逃げられることもある。もちろんあなたは学校なり職場なりに向かう途中だ。

もし「運良く」、周りの人が協力的で、駅員も警察も全員親切で、加害者が大人しく検査を受けて、相手が捕まるとしよう。家族も学校や職場の人も完全にあなたの立場に寄り添ってくれるとする。

しかしあなたはまた痴漢に遭う。
時間を変えたり、車両を変えたり、立ち位置を変えたり、鞄の持ち方を変えたり、格好を変えたり、色々工夫して痴漢に遭う頻度は下がるだろう。しかし、被害に遭うのだ。

ちなみに、被害者専用車両がいつ何時もあるとは限らない。というか専用車両は特定の路線の特定の時間にしか設定されていない。

例えば高校から電車通学だとしたら、あなたは15,6歳からそういうことをされ続ける。
ずーっと。
満員電車じゃなければ、と思うだろうか?残念ながらガラガラの電車でも痴漢する奴はいる。
電車に乗らなければ、と考えるだろうか?残念ながら自転車通学でも徒歩通学でも痴漢に遭うことがある。

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さて、あなたならどうしますか?
反撃として安全ピンが最適解ではない、そんなことは誰だってわかる。
じゃあ「より良い方法」って何?

パンプスが実質強制な職場

・僅かなLCCを除く、ほぼ全ての客室乗務員
・3つ星くらいからのホテル、大手ビジネスホテル
・結婚式場、葬儀場
・いわゆる受付全般(足元が隠れていても)
エステ、美容、審美医療系
・4割くらいの飲食店(カフェやバー含む)
・6割くらいのアパレル販売員
・7割くらいのデパート、百貨店勤務(内勤以外)
・8割くらいの化粧品販売員
・8割くらいの水商売勤務(服を着て接客するもの)
・8割くらいのディーラー
・9割くらいの宝飾品販売員
※販売・接客は商材にかかわらず高級志向なほどパンプスの割合が高い
・その他、フォーマルな場所全般
・その他、制服があるところ全般

また規定があるケースは少ないが、スーツやそれに準じた服を着る営業職もパンプスを推奨されることが多い。
それから、女性向け短期バイトは黒パンプス指定の可能性が高い(派遣先規定に関係なく、派遣元でそう規定しておいたほうが楽だから)→配膳、飲食派遣、販売派遣、イベントスタッフなど

割合はあくまでも観測範囲(都内主要都市)からの推測だが、実際に上記のような業種・職種では女性はパンプス(甲が見えてヒールのついた靴)という服装規定があるところが多い。※規定を実際に目にしたことがあるし、実体験を聞いたこともあり。

この件に対するコメントで、「女性の自主的な忖度や他者の視線を気にする故にパンプスを履いている」と勘違いしてる人が多いように見受けられたが、実質強制(服装規定に具体的に明言されている、新人研修等で上司から指示を受ける)な職場が多いよ。

もちろん好き好んでパンプスを履く人もいるし、痛い思いをしても履きたいという女性も存在する。しかしそれ以上にパンプス強制がしんどい、と言う女性が(自分の観測範囲では)沢山いる。
そろそろ変わっていかないとね。

批判・フィクションと現実・性的搾取・ゾーニング・ポリコレなど

※この文章は性暴力被害に関する描写を含みますのでご注意ください。

「『妹の姉』の問題点」記事へのコメント(ほぼ非表示)・ブコメ・言及されたブログ等の中で多かった批判と気になった意見について述べる。

①「〈べき〉〈しなければならない〉〈社会正義を語る〉〈自分が絶対的に正しいと思ってる〉〈意見を押し付ける〉〈ただ自分の感想や気持ちだけ述べていれば良かったのに、それを社会正義の話に結びつける〉のが気に食わない、不遜だ、傲慢だ、上から目線だ」
→誰になんと言われようと「社会は子供を守るべき」だし、「本人の身体は本人のものであり侵害されてはならない」し、「社会には子供を性的に扱わないという建前が必要」と言い切れる。大人が公共の場で子供を性的表象として扱うべきでない。そこに議論の余地があると言いたい人はちゃんと文章にしてどういう主張なのかを教えてほしい。
もちろんどんな建前があっても如何なる社会でも犯罪は起こり得る、でも建前を社会が共有してるとしてないでは大きく違う。これは個人のお気持ちではなくて社会正義の話。我々が生きる社会がどうあるべきかの話。

あと、自分の記事やtogetterまとめに対するコメントで「『べき』を使うべきじゃない」「自分のお気持ちを基準に他者を批判するべきじゃない」とハッキリ言えないために、ご自身の主張の前後に「矛盾になっちゃうけど」「この発言もそうなんだけど」的なことを書いてる人が散見されたんだけど、いやハッキリ言えば良くないか?

なんでそんなに批判や「べき」が嫌なのだろうか?自分の考えを述べる時に「〜ゆえに〜べき」、「〜べき、なぜなら〜」って言うの何もおかしくないと思うんだけど。

「俺/私はそうは思わない、なぜなら〜」って話を展開すればいいし、間違ってると思うならそこを批判したらいい。自分が所属している共同体の、自分が思う「あるべき姿」を語ることが何故傲慢で不遜なのだろうか。
というか何割かの人はもしかしたら正義アレルギーなのかな。お前に社会正義を語る資格は無い、でも俺にも無い、誰もそんな資格持ってない、の??あるいはどういう文脈でどういう背景があってどういう語り口だったら語る資格があると思ってるのか気になる。

②「子供」とは?
→子供/児童/少年少女/未成年者/学生など、自分の主張の中で「社会において庇護対象となるべき年齢」に揺れがあったのは自覚している。婚姻可能年齢や性的合意年齢を引き上げようという声があることと、選挙権を持つ年齢が下がったことと、平均的な知能/知識/経験と体格から言えばそのラインは18歳が妥当かなと思う。
18歳以上は全て自己責任という話ではなくてね。

③「フィクションと現実の区別がついてないんじゃないか」
→これ本当に誤解されやすいんだけど、(少なくとも自分は)フィクションの中の倫理観を現実の倫理観で裁きたいんじゃなくて、現実では許されないこと・現実ではありえないことを肯定的に(無批判に)描いたフィクションが現実世界に与える影響、を危惧してる。
現実と創作、二次元と三次元は無関係ではないので。(ここでいう現実とは人間の考えや行動、暮らし、その年代の空気、倫理観や価値観、法律、社会を構成する様々な集団等、現実の社会そのもののこと。)

④「暴力や犯罪を肯定的に描いた作品はどうなのか」
→まず性を扱うフィクションは、その他のフィクションに比べて誤解を与えやすい。
殴る蹴るの暴力や殺人・財産資産の盗難・所有物の破壊などは年齢性別その他属性に関わらず被害者の感覚を想像しやすいし、そもそも財産であれば金額で、怪我であれば完治までの期間等で被害を定量化しやすいので、現実の法律や罰則がしっかり作られている。(もちろん時代に合わせて不備は出てくるが)

それに対して性犯罪・性的搾取は被害の質が異なる。
殴る蹴るの暴力を伴う性的暴行や、強制性交の性器や口腔の傷を別にすれば、被害者は他者からは一見何も損なわれてないように見える。被害が外から見えない、被害を定量化しづらい、そして個人の感じ方の差が大きい。男女の身体の非対称性もあるし、経験してみないとわからないことも多い(男性→女性だけでなく、女性が男性被害者の気持ちを想像するのも難しいと思う)。また同じ属性や似たような経験を持っている人でさえ、他者の被害の深刻さや辛さ苦しさを簡単には推し量れない。だから下手すると「被害者も気持ち良かったんじゃないか、楽しんでたんじゃないか」みたいな最悪のセカンドレイプ発言をする人もいる。殴られた人や強盗に遭った人にそんなことを言う人はいないのに。
ゆえに性犯罪や性的搾取を創作で描く時はより慎重になるべきという考え。

それはそれとして、差別に関わる表現や巧妙な戦争賛美などは上記同様に自分事として想像しづらいことも多く、プロパガンダの効能を考えればこちらも慎重になる必要はあって、当然批判の対象になり得るだろう。それらの創作物を全部チェックして同等に批判しろと言われても困るが。

⑤「嫌なら見るな(not for you/me)」
→それを言えるのはゾーニングが成されているもの、レイティングがついてるもの、注意書きがあるものに対してだけ。例えば黒人差別を助長するような表現を描いた作品があったとして、それが白人向けに描かれていたとしたら黒人が口を出すべきではないのだろうか?むしろ黒人は当事者だし、白人だろうと黒人だろうとどの人種であろうと、批判は自由なはずである。
また「あなた」は絶対にフィクションと現実を混同しない、フィクションとわかっていれば何の影響も受けないのかもしれないが、世の中にはそうでない人もいる。フィクションの受け取り方、感じ方、知識や人生経験、全て人それぞれであるからこそゾーニングレイティング注意書きが必要という話。あるいは「嫌と言われたくないなら隠せ」である。

それから③④⑤共通で言及したいこととして、日本のAVはゾーニングもレイティングもされてるフィクションのはずなんだけど、そこから良くない影響を受けてる人は多い。ガシ○ンする(女性器を激しく乱暴に弄る)、胸部をしつこく強く触る、何度も激しく突く、潮を吹かせようとする、女性側が嫌と言いながら最後は受け入れる、他にもあるだろうけど要するにそういうものを現実と混同する人がいる。ゾーニングレイティング注意書きされてもなお現実に悪影響を与える創作物は、中身に批判がいくこともある。

twitterの鍵無し垢のtweet、あるいはwwwに公開されているもの
→アクセスできない国や地域を除くほぼ全世界に公開されている。手前に年齢認証や注意書きが無い状態であれば、全世界の老若男女どんな人でも目にする可能性がある。
つまりゾーニングレイティングの無い状態。

⑦「それは作者(作家・芸術家)に求めることなのか?」
→これは思うところがあって、色々書いてるうちに自分としては一番「編集者」に頑張ってもらいたいんだなと気づいた。
もちろん作者も成人ならば一人の大人であり社会の構成員ではあるけど、天才的な作家の才能や個性が社会への忖度で損なわれることは確かに損失だと思う。それはオタクとして理解できる。「そんなんで失われるくらいならその程度の才能」という意見もあるけど、自分が求めていても形にできない何か、自分が想像もできなかった何か、を描いてくれる人の存在はでかい。表現者としての責任は常にあるけども、少なくとも法人と契約してるのであればその作品を世に出したことのケツ持ちは媒体側にある。とりあえず少年ジャンプ+は「少年」の二文字を消したらいいのにと思う。

⑧ポリコレという言葉について
→「ポリティカルコレクトネス」は政治的正しさとか妥当性って訳されるので、イコール絶対的正義や正当性のことではない。ポリコレに近い日本語の概念って「体裁」かと思う。ポリコレを唱える人が求めてるのは、絶対的正義ではなくて「他者に配慮していますよというポーズ」なんじゃないかな。少なくとも自分はそう。一定の人が傷ついたり不愉快になるような、現実の倫理観とは異なる創作物を世に出しておいて、他者に配慮してますよというポーズ(ゾーニングレイティング注意書き)さえ取らなくなったら規制を厳しくされる可能性は上がるよ。

藤本タツキ『妹の姉』の問題点

藤本タツキ『妹の姉』という漫画について、ブクマでほぼ絶賛されてることに不安を覚えたので問題点を上げてみる。

①高1(15,6歳)の妹が、高3(17,8歳)の姉をモデルとして想像で裸体を描いたが、まずモデルの同意がない。
②第三者がモデルの同意無く公共の場(学校の入り口)にそれを貼り出す。
③モデルが拒否しても学校側はそれを取り下げない。
④指導者である教師がモデルからの訴えを真剣に受け止めないばかりか、「教え子のハダカなんてはじめて見た」と茶化す。
⑤周りの生徒が一切モデルの味方をせず、無神経に乳首や乳房に言及する。(何故か取ってつけたように姉が在籍してるのは女子だけのクラスのようだが、学校は共学だし男性教師もいる)
⑥親や親戚も呑気に写真を撮りに来る。絵の作者である妹を褒めてモデルである姉の心のケアをしない。
⑦作者(追記:=妹)からの謝罪がひとつもない。
⑧モデルは恥ずかしがったり焦ったり、怒ったり「屈辱」と言ったりしているが、傷ついたり悲しんだり苦しんだりしている描写がない。一言でいうと「なんだかんだ平気そう」だ。
自分のものである身体を無断で裸に描かれ、自分の意に反して大衆の目に晒され続け、その事態を自分以外誰一人深刻に取り扱ってくれないことへ対しての、不信感や絶望が一切描かれていない。そのせいで読後感は確かに爽やかだ。

なぜこれらのことが問題なのか?
まず、モデルの同意無く本人とわかる裸を描くことは盗撮やアイコラと同じで、いくら画力が高くてもそれに賞をつけて飾るなんてのは以ての外で、少なくとも教育の場でそれを許してはならない。
ましてモデルは未成年、まだ高校生の少女なので、児童保護の観点から言ってもより慎重に扱われなければおかしい。このケースだと第三者から見て作者と被害者との間に合意があったと誤認されるのもたちが悪い。
仮にモデルの同意があったとしても、周りの学生がモデルの裸についてあれこれ本人に言うのは人物素描のタブーだし、教師がそれをきちんと指導すべきだろう。

ここまでは作中の問題点だ。

本当の問題はメタな部分にある。
日本ではサブカルチャーの中で女性の、児童の裸体が軽く扱われて過ぎていると思う。もちろん成人男性も含め、老若男女全ての人間の身体はその本人の物で、勝手に裸にしたり無断で触れたりすることは権利侵害に他ならない。
しかし、こと漫画やアニメに関しては少女の裸や下着の扱いが非常に軽い。
二次元ではスカートめくりをされても「キャー」で終わり、お風呂を覗かれても犯人を殴って終わり、アクシデント的に身体に触られても頬を赤らめて終わり、ということが多いが現実はそうではない。
現実の少女の心はそういうことをされれば深く傷つくし、非常に不安定になる。犯人を特定し罰を与えてもその瞬間だけで済む話ではなく、適切なケアがなければ生涯男性不信や人間不信になりうる。
この漫画では、裸を描かれた姉はなんだかんだ平気そうだし、本当の自分の裸を描くことで妹に自分の力を見せつけている。確かに現実でもそういう少女はいるかもしれない、芸術無罪を自分が被写体になった場合にも適応する芸術家もいるかもしれない、だけど世の中はそんなに強い人ばかりではない。(追記:「何だかんだ平気そう」というのは、身体や精神に不調が現れていない、吐いたり眠れなくなったりしていない、自傷行為や自殺未遂に向かっていない、教師や友人が怖くなって不登校になっていない、家族が信頼できなくて家に帰れなくなったり、人の目が怖くて外を歩けなくなったりしていない、ということ。)

この漫画の作者・これを全年齢向けで注釈なく掲載した出版社・手放しで絶賛してる方々は、全員この深刻さを理解していないのだ。

だからせめて、これを男性作家が少年誌で書くのであれば、男兄弟で描いてほしかった。もちろん少年の身体も少年本人の物で、それは決して侵害されてはならない。それは老若男女関係ない。ただ、「少女の全裸を合法に全年齢向けで描きたいだけ」…ではないと言うなら、自分達側の性別で描くべきだった。

画力の高い弟に勝手に全裸を描かれる気持ち悪さ、
筋肉ムキムキで性器は実物よりデカく、ベッドに寝そべってやや官能的なポーズをとる自分の絵を全て想像で描かれる気持ち悪さ、
それを無断で全校に一年間晒され続ける不愉快さ、
嫌いな奴や好きな子や知らない奴にもすれ違いざまに身体の部位に言及される不愉快さ、
教師も友人も家族もそのことに疑問を持たない恐ろしさ、
を描くべきだった。
そして最初の絵とは異なるヒョロガリな自分が堂々と大股を開いた絵を自分で描いて、弟に「俺の裸はこう描くんだ」と言う兄と、それを喜ぶ弟を描くべきだった。

『弟の兄』を描けなかったこと、
これを男ではなく女で描いたこと、の意味を今一度考えてもらいたい。




追記。
何故かこの文章を「男(の身体)ならどういう扱いをしてもいい」という結論で捉えてる人が多くて驚いた。まぁそれは自分の文章力の至らなさによるものなのでここで追記する。

まず、私はそうは考えていない。
作者の性別であり想定されているメイン読者層の男で書くべきだと言ったのは、日本の文化が女体(未成年含む)表象を軽く扱いすぎて麻痺している前提があるからだ。だから男女反転したら上記の文章で羅列した違和感に気づいてくれるのではないかと思った。これはあくまでもミラーリングであり、本当に男女反転したものが世に出ることを望んでるわけではない。というか男兄弟でもNGだと言い切れる。
自分が考えたこととしては、男女反転で描いた時点でジャンプ(系列)には載らないと思った。編集者の手も入るだろうし、仮に何かに掲載されたとしても、評価としては腐女子向けの短編として扱われたんじゃないだろうか。そして「男子高校生を全裸にする必要性」「肉親が想像で勝手に裸を描く気持ち悪さ(それを是とする作者の価値観)」についてももっと言及されていたのではないかと想定した。
私は所謂オタクなので、アフタヌーン感も四季賞感も沙村感もよく理解できるし、この作者に力があることも読み切りとして良くできていることもわかる。だからこそ書き手も読み手も気をつけてもらいたいし、問題点に気づいてほしいと思ってこれを書いた。

なお自分のスタンスとして、創作の表現は基本的に権力から自由であるべきだが、同時に全ての表現には責任が伴うと考えている。他者の権利を侵害したり、他者の尊厳を毀損するような表現がいつでもどこでも許されるわけではなく、際どいものは都度精査されるべきだし、場合によってはゾーニングやレイティングが必要である。そして当然未成年者は社会において守られるべき存在なのだが、日本はその感覚が薄い人が多いと感じる。故にこういう漫画が絶賛されてしまうし、こういう創作物は現実に生きる読み手の価値観に少しずつ影響を及ぼすと考えている。


追記の追記、
「描くべきだった」「描いて欲しかった」の意図は、「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」です。
私は、ポリコレを目指すことで様々なコンテンツの面白さが損なわれていくとは思ってません。むしろそこを真剣に精査することがこれからの世界の課題だし、そういったコンテンツを嗜好する大人としての責務だと考えています。

自衛隊のポスターにおける女性表象の扱い

自衛隊員募集のアニメ絵ポスターをまとめたはてなブログ記事を目にした。女性の扱いがあまりにも、だったのでミラーリングしてみる。
 
注:もちろん全てのポスターの話はしていない。「一部の」アニメ絵ポスター及びアニメコラボポスターの話だが、それにしても現実の女性隊員に失礼な描写が多いので、男女反転してみた。


自衛隊員募集のアニメ絵ポスターの男女がもし逆だったら】
下記のようなイラストが自衛官募集ポスターに描かれていることになる。
・ピンクや青や緑髪で、現実の自衛官なら到底許されないヘアスタイルの、10代アイドルのようなポーズをした男性三人組(凛々しさは皆無)
・何故かノースリーブに短パン。短パンの下にはニーハイ。昔のジャニーズか男性ストリッパーのような露出度の男性
・ピアス、ブレスレット、ヘアアクセサリーをつけた男性
・ローアングルで太もも、脇、腹を笑顔で見せる男性
・制服(に準ずるデザイン)の生地なのに胸筋パツパツで腰がキュッとしまってる男性
・ファンタジー世界のイケメンキャラ三人、の真ん中で一人だけリアル装備の女性隊員
・イケメンの金髪碧眼エルフがコスプレのようななんちゃってセーラーでヘソ出し、その背後にリアル海自制服の女性隊員
・男女隊員ともリアル寄りの制服を着ているが、何故か男性だけがふわふわした茶髪で内股ポーズ
・リアル寄りの制服や迷彩服なのに頬を染めてやたら可愛いポーズ取っている男性隊員
・金髪碧眼や明るい茶髪や青髪で、長髪をきちんとまとめていない男性達…アニメキャラでなければ明らかにコーカソイドの特徴を持った男性隊員
・タイツかストッキングに艶めかしい塗りを施された男性
・手を恋人繋ぎして仲良くジャンプする男性三人組
・男子学生キャラが水辺で生足出してキャッキャしている光景
・現実に即した短髪の女性隊員は腰に手を当てて凛々しいポーズで、その周りにキョトン顔とニコニコ顔の男性隊員
・男女複数人が描かれているポスターで、女性隊員は皆黒髪短髪で作業帽や鉄帽に髪が隠れているのに、男性隊員はツヤツヤの長髪(自衛隊基準)で、帽子から顔周りの髪の毛がガッツリ出ている
・女性隊員は逞しい体つきにそれなりの装備をつけているが、同じ迷彩服の男性隊員は細い腰に簡易な装備で頬を染めながら子供の相手をしている
・女性隊員の作業服・制服姿はリアルに描かれているのに、男性隊員はピッチピチに身体に張り付いた制服
災害派遣で女性隊員は鉄帽やライナーをつけているのに、同じ現場で作業している男性隊員は何故か頭に何もつけていない、そしてツヤツヤの髪

【まとめ】
・「デフォルメ」「アニメキャラ」に過ぎない、ということを差し引いても圧倒的に女性だけ肌の露出が多い。
・アニメキャラでない男性隊員を描く場合、ふざけたデフォルメはされておらず、凛々しく、現実に即した描写がなされている
・女性隊員だけやたら頬が染まっている
・アニメキャラではない女性隊員でもやたら髪が長い/眉や目や耳にかかる髪をまとめていない(自衛隊でも新隊員でなければある程度髪の長さは自由だが、凛々しさや精悍さ、精強さを示す自衛官として、帽子やヘルメットから髪をボサボサ出さないのが普通)

あとブコメで陸海空自の擬人化なのわかってないって言われてたんだけど、あのカラフル頭のノースリミニスカの乳袋ついた少女達が自衛隊の擬人化であることは疑問視しないのかよ…。艦これガルパンはいふりに慣れてる人にはむしろ自然な表現なのは知ってたけど…

2019-02-23追記
昨年秋のワールドウイッチーズコラボのポスター見たんだけど、あれダントツで酷いね。アニメの設定で、足に必要な装置をつける関係で下半身だけ水着(下着)と同じ露出度なんだけど。なまじ上半身にセーラー服着せてるせいで、女子中高生の制服のスカートだけ引っ剥がしたみたいになっちゃってる。
これ男に反転したら、
・なぜか学ランとセーラー服の下だけ穿いていない、生足をさらけ出した男子三人がぶりっ子ポーズしてる
というマジで意味のわからない変態ポスターになる。。もう一枚のポスターのブラバンっぽい方も、ストリッパーのコスプレみたいな感じだし。

これから自衛官募集ポスターデザインする人は、一度男女反転しておかしいと思わないのかチェックしてみてほしい。

トランスジェンダーと銭湯やトイレのこと

トランス女性の友人が無くなった、という増田を読んだ。
それ以前に、トランスジェンダーの女性が女子トイレや女湯に入ることの議論をtwitterで目にしていた(それ自体の是非ではなくて、それに対する各人の価値観や主張や考えについての批判など)。たぶん増田が見てたTLと多少は重なってたと思う。これは相当に難しい問題だと感じていたので(絶対誰かを傷つけそうで何も発言出来なかった)、自分としての今の考えをまとめてみた。

※前半は自分で調べて理解した情報と解釈をまとめています。私は医学関係者でもなければ何らかの専門家でもないので、明確に間違っている点があればコメントやブクマでご指摘ください。またこの文章には何らかの属性や人を攻撃する意図はありません。私は全ての差別に反対します。
※「男体持ち」「女体持ち」という言葉は個人的に「生物学上の男/女」というよりもしっくりくるので使用していますが、他に適切な表現があれば教えてください。

【定義】
まず"トランスジェンダー"とは何か?辞書的には下記のような人のことを指す。(抜粋)

"性同一性障害者のうち、解剖学上の性とは逆の性で社会生活を行うが外科的手術までは望まない人。"-大辞林

"性別違和をもつ人々の総称。性別違和とは,体の性的特徴,出生時の体に基づいて判別された性別や,その役割に課される性役割,性別表現など,すなわちジェンダーへの違和感である。トランスジェンダーには,他方の性別への一致感がある人とない人がおり,また違和感が持続的な人と,そうでない人がいる。"-ブリタニカ国際大百科辞典

"トランスジェンダーは、ある人の「割り当てられた性」 (身体的特徴ないし遺伝子上の性に基づく男性か女性かの他人による識別) とは違う「性同一性」 (女か男か、あるいはそのどちらでもないか) の状態にある。"
"トランスジェンダーであることは、特定の性的指向を有していることを必要条件としない。すなわち、トランスジェンダーの人々は異性愛者であったり、同性愛者、両性愛者、全性愛者あるいは無性愛者であったりする可能性がある。トランスジェンダーの正確な定義は不断の変化を続けている"-wikipedia

いくつかの解説をあたったところ、性同一性障害者の中にトランスジェンダー(以下トランス)が含まれるという説明もあれば、その逆集合で説明している記事もあった。

なおトランスには"エックスジェンダー"という概念も含まれる。
Xジェンダー(X-gender)とは、出生時に割り当てられた女性・男性の性別のいずれでもないという性別の立場をとる人々を指す。両方を区分する限りでは、中性、無性、両性、性別という枠組みから脱する、女性か男性か定まりきらない流動的であるというあり方など人により様々である。"-wikipedia

また、トランスではない人のことはシスジェンダーと呼ばれる。
"シスジェンダー(Cisgender)とは生まれた時に診断された身体的性別と自分の性同一性が一致し、それに従って生きる人のことをさす。"-wikipedia

これらをまとめると、
①性別違和をもつ人々の総称。
性的指向における定義は無い。
このニ点は少なくとも全ての人が共有できるトランスの定義だろう。

そうなると、おそらく下記のような人達は全てトランスに当てはまる。
性自認と性指向の区分】
1.男の体を持って生まれたが、性自認は女である。
 1-1.男性のみが恋愛対象である。
  1-1-1.男の体を持っている人が恋愛対象である。
  1-1-2.男性の自認を持っている人が恋愛対象である。
 1-2.女性のみが恋愛対象である。
  1-2-1.女の体を持っている人が恋愛対象である。
  1-2-2.女性の自認を持っている人が恋愛対象である。
 1-3.男女いずれも恋愛対象である。または全ての性が恋愛対象になりうる。
 1-4.男女いずれも恋愛対象ではない。(恋愛/性愛的に惹かれる性がない)
 1-5.恋愛対象はわからない、明確ではない。
2.男の体を持って生まれたが、男であることに違和感があり、かといって女であるかというとそれも違和感がある。
 (以下1-1〜1-5と同様)
3.女の体を持って生まれたが、性自認は男である。
 (以下1-1〜1-5と同様)
4.女の体を持って生まれたが、女であることに違和感があり、かといって男であるかというとそれも違和感がある。
 (以下1-1〜1-5と同様)

恋愛/性愛対象については、かつては異性愛者だったが明確に自認した後は同性にしか惹かれなくなったという人もいれば、完全に個別具体的に「その人だから」惹かれるのであって、今後異性/同性に性的に惹かれるかどうかはわからない、という人もいる。

上記に加えて【性転換手術】に関する区分のグラデーションもある。
・全身の性転換手術をしている/するつもりである。
・上半身の手術はしている/するつもりでいるが、下半身の手術はしていない/しないつもりである。 
・上記の逆。
・性転換手術をしていない/しないつもりである。

加えて、【外見部分(肉体以外)】についても色々なスタンスがある。
・いわゆる女らしい服を着たい。美容室では女性用のヘアカタログを見たい。
・いわゆる男らしい服を着たい。女に見えるような服は着たくない。
ユニセックスまたは無性的な服を着たい。
・気分で使い分けたい。
・したい格好ができている。
・したい格好ができていない(恥ずかしい、似合わない、サイズがみつからない、笑われるのが怖い、等の理由)。
・ヘアメイクをしたい。
・最低限の身だしなみだけしてヘアメイクはしたくない。

このように【性自認】【性指向】【性転換手術】【服装】等の切り口で見ても、多種多様なトランスがいることがわかる。

また、これらを前提として下記のことが言える。
①トランスの人の性指向・恋愛の対象・性的に惹かれる性というのは定義が無いため、全ての可能性が有り得る。
LGBTのうちのLGB:つまりレズビアン、ゲイ、バイセクシャルの人は、同時にT:トランスジェンダーであることもあれば、そうでない=シスであることもある。
③身体の性と異なる服装を好む人(トランスヴェスタイトクロスドレッサー等と呼ばれる)は、それだけではトランスに含まれない。例えば性自認も身体的にも男性の人がフリルのついたスカートを履いていても、トランスではない。
トランスジェンダーの中には当然フェミニストもミソジニストもミサンドリストもいる。シスと全く同じ。トランスはジェンダーの一分類なだけで、思想や主張やスタンスは定義されない。

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次に、
浴場や脱衣所、更衣室、トイレ等がなぜ男女で分かれるのか?ということを考えたい。これには沢山の理由があるだろう。恥の感覚、文化、教育、合理性、性犯罪抑止など。確実に言えることは、そうなっている理由は一つではないということ、それから人によって考え方や感じ方が異なるということだ。

なのであくまでも私の考えを述べると、それが分かれているのは女性(女体を持つ人)を守るために有用である、と思う。
①ほとんどの女性が痴漢やセクハラや性犯罪被害に遭った経験がある。あるいは身近な女性が被害に遭ったことを聞いたことがある。すなわち女性(シス/トランス問わず女体持ち及び外見が他者から見て女性な人)にとって日常生活において無視できない確率で性犯罪者が存在している。また性犯罪を犯す男性とそうでない男性を区別することが不可能である。
②男性の身体は、少なくとも高校生くらいになればほとんどが女性の身体よりも大きい。例え同じくらいの体格でも、筋力は男性の方が強い。
③一般的に異性愛者の男性は、女性の身体のプライベートゾーン(水着で隠れる範囲/公衆の面前で晒してはいけないとされている範囲)に特に性的に興奮するものとされている。
以上のことから、プライベートゾーンを晒す状況の時、その空間に少なくとも女体持ちの人しかいないというのは、女体持ちにとって安心や安全の担保になるのだ。

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じゃあトランスはどうしたらいいのか?また社会はトランスをどう扱うべきなのか?
間違いなくこれからの世界では、多様性が認められるべきで、一人一人が平等な権利と機会を得られるべきで、誰も差別されてはならず差別してはいけない、という理想があって、日本社会もその方向に進んでいかねばならないと思う。
この問題における、その方向、ってなんだろうか。

少なくともトランス女性は間違いなく女性で、トランス男性はれっきとした男性だ。そこに当てはまらないトランスジェンダーの人も、その自認が社会に認められるべきだ。

ただ現状の浴場や多くのトイレは、「男女」ではなく「男体と女体」で区別、運営されてきたというのが正確だと思う。なので、、

銭湯や温泉では、壁区切りまたは時間区切りはいかがだろうか。
壁区切り→女湯/男湯ののれんの奥に、さらにトランス用とシス用の区切りがある。
時間区切り→トランス女性・シス女性・トランス男性・シス男性で、時間帯を区切ってそれぞれ交互に入る。トランスで性自認が曖昧な人、定まってない人は、身体の性に合わせて選択する。

トイレはだれでもトイレをもっとガンガン増やして、上下空きの扉にして、今までの男女トイレは縮小して、全ての洗面スペースに監視カメラを設置する。変な動き(ドア上下からの覗き等(ままある))を感知したらアラームが鳴るようにするとか。
最初お金と手間は掛かるけど、お金に関してはもう商業施設なんかのトイレは全部有料でいいと思う。有料って言っても数円〜数十円で。

これで結構平等じゃないかな?
トランスで、完全に異性として社会生活を送っていてどうしてもトランスであることがバレたくないっていう人ももちろんいると思うんだけど、そういう人が銭湯に行くケースの正解が難しかった。
みんなで考えてみませんか。前澤さんこれのためにお金補助してくれないかな。。

少年誌の「お色気枠」と、壁尻の展示について

ジャンプフェスタ2019の、アニプレックスという企業のブースで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』という漫画のヒロインのお尻が展示されるという出来事があった。
この展示では、「等身大のお尻」が壁から突き出ていて、そのパネルには「撮影可能です」「楽しみ方はあなた次第!!」「優しく触ってね!」という文言が掲げられている。
幽奈さんというのは幽霊であって、この展示は作中の「頭隠して尻隠さず」というシーンを再現していて、幽奈さんのおっちょこちょいな性格を表現しているシーンらしい。

私はこの展示に問題があると考えている。少なくともジャンプフェスタで行うべきでなかったという主張をしたい。

まず『ゆらぎ荘の幽奈さん』は、週間少年ジャンプで連載中の、幽霊×温泉ドタバタラブコメディーである。
前提としてヒロインの幽奈さんというのは、
・女子高生の地縛霊
・享年16歳
・「愛想がよく礼儀正しい性格で、初対面の相手ともすぐに打ち解けることができる」が、「 不可抗力でコガラシに裸身を見られたり触られるとパニックに陥る」というキャラクターである。

【問題点①】
彼女は高校生で、16歳であるということ。
幽奈さんは幽霊ではあるが、実体を持っていないどうこうというのは詭弁であって、16歳の少女というキャラクターであることに変わりはない。
彼女は未成年であり、子供である。ジャンプの対象読者年齢が10代だとして、彼女が主人公の恋愛対象として描かれることに問題は無いが、未成年キャラが「お色気シーン要員」として存在してることは問題ではないだろうか。また彼女の人格、すなわちキャラクターとしての個性を無視して頻繁に乳や尻が描かれているのは、作者やジャンプ編集者が、女性の内面を無視して女体を過剰に性的表象として扱っていることになる。そういった描写が青少年にどのような影響を与えるのかを大人が考えなくてはならないと思う。

【問題点②】
「尻のみ」という切り取り方。
これは作中の1シーンを再現してるのだが、それを立体にして展示する(それを鑑賞し触れて楽しむ)、というのはまた別の問題だ。
この展示の他に全身フィギュアも展示されていて、それもはっきり言って異常性は感じるのだが(無邪気な笑顔に、恐らくノーブラの胸がはだけていて、故意に扇情的に製作されている。繰り返すが彼女は16歳設定である。)、それにしても特定の部位だけを展示するというのは、女性の身体をふざけて扱いすぎだと思う。下着で隠れる部分というのは特にプライベートなゾーンであって、例えば小さい子には「下着で隠れる部分は他の人に触らせてはいけないし、他の人のプライベートゾーンも触ってはいけない」と教えるのが普通だ。手を繋いだり頭を撫でたりするのとはまた別の意味合いを持つからだ。ジャンプフェスタは子供をメイン層とした全年齢向けイベントなのだから、やはりこのような展示を置くべきでは無かっただろう。

【問題点③】
「撮影可能です」「楽しみ方はあなた次第!!」「優しく触ってね!」という文言。
この言葉は、誰から誰に向けての言葉なのか、ということだ。
前述の通り、幽奈さんは16歳である。そして「自ら不特定多数の人間にお尻を触らせる」ことを良しとするキャラクターではない。もちろん主人公のコガラシも、それを許容するキャラクターではない。即ち作中のシーンを表現していると言っても、それを展示すること自体がキャラ設定と矛盾しているのだ。
この文言を考えたのは、おそらく「アニプレックスの人間」であり、それは少なくとも「作者」「ジャンプ編集部の人間」「会場の責任者」が許可を出したことが想定される。推測に過ぎないが、おそらく全員が「成人」かつ「日本人」だったのではないだろうか?海外のオタクの反応を鑑みるに、こういった展示を全年齢向けに行うという発想は一部の日本人以外には受け入れられないと思う。
そして想定されている来場者は、ジャンプの読者、即ち少年だ。もちろん老若男女、少女や保護者も来場するのだが。
ということは、いい大人が、少年達に対して、16歳の少女の尻という表象を以てして、彼女のキャラクター(性格)を無視して「撮影可能です」「楽しみ方はあなた次第!!」「優しく触ってね!」と提示しているわけだ。
これはグロテスクと言うほか無い。

【問題点④】
それを公式がTwitterで宣伝してしまうこと。
この件は来場者のツイートから発覚したとかではなくて、アニプレックス公式が、鍵なし垢で、画像つきで、「等身大おしり」を「会場にお越しの方は是非」とツイートしたのだ。画像の中で、そのお尻を触っている手があからさまに女性の手(女性服の袖)であることが非常に姑息なのだが、いずれにしろ「お触り」出来ることを宣伝していた。ちょっとこれは不味いかもしれないからこっそりやろう、とかそんな意識は微塵も無くて、16歳の少女表象の実物大の尻を好き勝手に触れるよ~という展示で客引きする発想しかなかった訳である。

この件についてのまとめを少し読んだのだが、フェミだけが吹き上がってる!的な論調だったので驚いた。どこから話せばいいんだろって感じなんだけど、とりあえず18歳以下を性的表象として表現することはもう止めません?あと、ジャンプフェスタはエロ無しでも客呼べるでしょ?それから、女性の身体は…いや人の身体は、本人だけの物だから、本人の許可無く触っちゃいけないから、それをわかってない人が日本には沢山いるから、こういった展示を全年齢向けにおおっぴらにするのはやめようよ。
宜しく頼むよ。

お色気枠についてもまとめて書こうと思ったんだけど疲れたからまた今度にする。
一応個人的には、少年誌のお色気枠はあっていいと思う。ただ最近のラッキースケベはむしろ不健全かと。転んで女の子の服に顔突っ込んで胸揉んじゃう、みたいなやつ。とらぶるよりふたりエッチの方がまともだよね。性暴力でも小児性愛でもなくて、普通に男女交際からのセックスとかをもっと描けばいいのになって。それが対象読者年齢に対してまだ早いってんなら、普通にビキニ描く程度でいいでしょって。思います。