藤本タツキ『妹の姉』の問題点

藤本タツキ『妹の姉』という漫画について、ブクマでほぼ絶賛されてることに不安を覚えたので問題点を上げてみる。

①高1(15,6歳)の妹が、高3(17,8歳)の姉をモデルとして想像で裸体を描いたが、まずモデルの同意がない。
②第三者がモデルの同意無く公共の場(学校の入り口)にそれを貼り出す。
③モデルが拒否しても学校側はそれを取り下げない。
④指導者である教師がモデルからの訴えを真剣に受け止めないばかりか、「教え子のハダカなんてはじめて見た」と茶化す。
⑤周りの生徒が一切モデルの味方をせず、無神経に乳首や乳房に言及する。(何故か取ってつけたように姉が在籍してるのは女子だけのクラスのようだが、学校は共学だし男性教師もいる)
⑥親や親戚も呑気に写真を撮りに来る。絵の作者である妹を褒めてモデルである姉の心のケアをしない。
⑦作者(追記:=妹)からの謝罪がひとつもない。
⑧モデルは恥ずかしがったり焦ったり、怒ったり「屈辱」と言ったりしているが、傷ついたり悲しんだり苦しんだりしている描写がない。一言でいうと「なんだかんだ平気そう」だ。
自分のものである身体を無断で裸に描かれ、自分の意に反して大衆の目に晒され続け、その事態を自分以外誰一人深刻に取り扱ってくれないことへ対しての、不信感や絶望が一切描かれていない。そのせいで読後感は確かに爽やかだ。

なぜこれらのことが問題なのか?
まず、モデルの同意無く本人とわかる裸を描くことは盗撮やアイコラと同じで、いくら画力が高くてもそれに賞をつけて飾るなんてのは以ての外で、少なくとも教育の場でそれを許してはならない。
ましてモデルは未成年、まだ高校生の少女なので、児童保護の観点から言ってもより慎重に扱われなければおかしい。このケースだと第三者から見て作者と被害者との間に合意があったと誤認されるのもたちが悪い。
仮にモデルの同意があったとしても、周りの学生がモデルの裸についてあれこれ本人に言うのは人物素描のタブーだし、教師がそれをきちんと指導すべきだろう。

ここまでは作中の問題点だ。

本当の問題はメタな部分にある。
日本ではサブカルチャーの中で女性の、児童の裸体が軽く扱われて過ぎていると思う。もちろん成人男性も含め、老若男女全ての人間の身体はその本人の物で、勝手に裸にしたり無断で触れたりすることは権利侵害に他ならない。
しかし、こと漫画やアニメに関しては少女の裸や下着の扱いが非常に軽い。
二次元ではスカートめくりをされても「キャー」で終わり、お風呂を覗かれても犯人を殴って終わり、アクシデント的に身体に触られても頬を赤らめて終わり、ということが多いが現実はそうではない。
現実の少女の心はそういうことをされれば深く傷つくし、非常に不安定になる。犯人を特定し罰を与えてもその瞬間だけで済む話ではなく、適切なケアがなければ生涯男性不信や人間不信になりうる。
この漫画では、裸を描かれた姉はなんだかんだ平気そうだし、本当の自分の裸を描くことで妹に自分の力を見せつけている。確かに現実でもそういう少女はいるかもしれない、芸術無罪を自分が被写体になった場合にも適応する芸術家もいるかもしれない、だけど世の中はそんなに強い人ばかりではない。(追記:「何だかんだ平気そう」というのは、身体や精神に不調が現れていない、吐いたり眠れなくなったりしていない、自傷行為や自殺未遂に向かっていない、教師や友人が怖くなって不登校になっていない、家族が信頼できなくて家に帰れなくなったり、人の目が怖くて外を歩けなくなったりしていない、ということ。)

この漫画の作者・これを全年齢向けで注釈なく掲載した出版社・手放しで絶賛してる方々は、全員この深刻さを理解していないのだ。

だからせめて、これを男性作家が少年誌で書くのであれば、男兄弟で描いてほしかった。もちろん少年の身体も少年本人の物で、それは決して侵害されてはならない。それは老若男女関係ない。ただ、「少女の全裸を合法に全年齢向けで描きたいだけ」…ではないと言うなら、自分達側の性別で描くべきだった。

画力の高い弟に勝手に全裸を描かれる気持ち悪さ、
筋肉ムキムキで性器は実物よりデカく、ベッドに寝そべってやや官能的なポーズをとる自分の絵を全て想像で描かれる気持ち悪さ、
それを無断で全校に一年間晒され続ける不愉快さ、
嫌いな奴や好きな子や知らない奴にもすれ違いざまに身体の部位に言及される不愉快さ、
教師も友人も家族もそのことに疑問を持たない恐ろしさ、
を描くべきだった。
そして最初の絵とは異なるヒョロガリな自分が堂々と大股を開いた絵を自分で描いて、弟に「俺の裸はこう描くんだ」と言う兄と、それを喜ぶ弟を描くべきだった。

『弟の兄』を描けなかったこと、
これを男ではなく女で描いたこと、の意味を今一度考えてもらいたい。




追記。
何故かこの文章を「男(の身体)ならどういう扱いをしてもいい」という結論で捉えてる人が多くて驚いた。まぁそれは自分の文章力の至らなさによるものなのでここで追記する。

まず、私はそうは考えていない。
作者の性別であり想定されているメイン読者層の男で書くべきだと言ったのは、日本の文化が女体(未成年含む)表象を軽く扱いすぎて麻痺している前提があるからだ。だから男女反転したら上記の文章で羅列した違和感に気づいてくれるのではないかと思った。これはあくまでもミラーリングであり、本当に男女反転したものが世に出ることを望んでるわけではない。というか男兄弟でもNGだと言い切れる。
自分が考えたこととしては、男女反転で描いた時点でジャンプ(系列)には載らないと思った。編集者の手も入るだろうし、仮に何かに掲載されたとしても、評価としては腐女子向けの短編として扱われたんじゃないだろうか。そして「男子高校生を全裸にする必要性」「肉親が想像で勝手に裸を描く気持ち悪さ(それを是とする作者の価値観)」についてももっと言及されていたのではないかと想定した。
私は所謂オタクなので、アフタヌーン感も四季賞感も沙村感もよく理解できるし、この作者に力があることも読み切りとして良くできていることもわかる。だからこそ書き手も読み手も気をつけてもらいたいし、問題点に気づいてほしいと思ってこれを書いた。

なお自分のスタンスとして、創作の表現は基本的に権力から自由であるべきだが、同時に全ての表現には責任が伴うと考えている。他者の権利を侵害したり、他者の尊厳を毀損するような表現がいつでもどこでも許されるわけではなく、際どいものは都度精査されるべきだし、場合によってはゾーニングやレイティングが必要である。そして当然未成年者は社会において守られるべき存在なのだが、日本はその感覚が薄い人が多いと感じる。故にこういう漫画が絶賛されてしまうし、こういう創作物は現実に生きる読み手の価値観に少しずつ影響を及ぼすと考えている。


追記の追記、
「描くべきだった」「描いて欲しかった」の意図は、「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」です。
私は、ポリコレを目指すことで様々なコンテンツの面白さが損なわれていくとは思ってません。むしろそこを真剣に精査することがこれからの世界の課題だし、そういったコンテンツを嗜好する大人としての責務だと考えています。