他人の性体験の有無を馬鹿にすな

童貞を馬鹿にする風潮、まだあるよね。処女は崇められる傾向にあるが馬鹿にされることもある。経験者は経験者で、上げられたり下げられたりする。
そんな風潮は平成で終わりにしよう、という真面目な話。

sex (挿入)は本来、子を孕むという結果を伴うものだ。
もちろん結果として妊娠しないこともあるけど、それぞれに子供ができない病気や障害が無い限り、精通後の男性と初潮後〜閉経前の女性が交われば、妊娠の可能性は常に存在する。ピルを飲んでてもゴムをしてても、避妊率100%ということはない。
これは事実であり大前提である。このことに異議がある人はまずいないだろう。

私は純潔主義者ではないが、未婚であれば童貞・処女であることが「標準」であるという考えである。なぜなら未経験は初期状態であり、すべての人がかつては未経験だったからだ。
未婚(婚約状態・事実婚を除く)なのに性交経験(異性間での合意の挿入)があるということが何を意味するかを考えれば、未婚の経験者の方がむしろイレギュラーなのである。
それでは経験者はどのような考えで行為に及んだのか。

女性の場合:
①その年齢で、その相手の子を産んでもいいという覚悟があった(万が一妊娠した場合のことを相手と話し合っていた)
②たとえ相手が認知を拒絶しても、一人親として産み育てる覚悟があった
③堕ろすことも選択肢に入れていた
④大前提を知らなかった(性知識が誤っていた)
⑤妊娠した場合のことは考えてなかった、妊娠してから考えればいいと思っていた、深く考えていなかった

男性の場合:
①その年齢で、その相手と子供に対して責任を取る覚悟があった(万が一妊娠した場合のことを相手と話し合っていた)
②たとえ相手が出産後に親になることを放棄しても、自分は親になる覚悟があった
③堕ろさせることも選択肢に入れていた
④大前提を知らなかった(性知識が誤っていた)
⑤妊娠させた場合のことは考えてなかった、妊娠してから考えればいいと思っていた、深く考えていなかった

いずれも、①・②ならまだ人間として信頼できるのだが、③は事情によりけりとして、それ以降だと信頼に値するとは言い難い。
経験人数が複数人であっも、都度突き詰めて考えることはできる。重要なのは覚悟と、どこまで考えたか(考えていなかったか)である。
決して推奨はできないが、仮に中高生同士であっても、覚悟は出来るはずだ。ただし若ければ若いほどお互い犠牲にするものが多いので、物事をある程度現実的に見通せる年齢に達してなければ、覚悟があっても無責任になってしまう可能性が高いが。

「ヤりたいけど出来ないだけの奴はどうなのか」という意見があるかもしれないが、経験が無いことは初期状態なので、そのことに他人が意味を付与することはできない。たとえば過去に機会はあったが責任は取れないから行為に及ばなかった童貞、あるいは今後機会があったとして行為をしても責任を取るつもりはない童貞がいたとして、その考えに対する是非はあっても、未経験という状態が初期状態であることに変わりは無い。むしろ経験したことに意味が付随してしまうのだ。それは明確に本人の選択の結果だからである。

だからといって、別に経験者の考えや価値観を批評批判しろという話ではない。性体験は本来、非常に個人的で繊細なものだ。他人が良い、悪い、ダサい、キモい、価値がある、価値がない、清潔だ、不潔だ等と評価すべきものではない。
自分のパートナーと価値観を話し合うだけに留めて、他人の性的ステータスで何かをジャッジするのは止めよう。