表現の自由と児童の性的搾取

togetter.com

あのさぁ……
創作でもダメに決まってんじゃん。
男児でもダメに決まってんじゃん、小学生だろうと中学生だろうと高校生だろうとダメに決まってんじゃん。
いい加減にしろよ。男の子ならおっぱいも合法だとか、ふざけるなよ。なんで子供を性的対象としてはいけないという建前が理解できないんだ。
子供っていうのは、大人が性的対象にしたらいけない存在なんだ。それは社会が子供を守るためであって、子供自身がこの世界で安心して生きていくために必要な了解なんだよ。それが大人の良識だろ。

内心で思うのはいいよ、性的に反応してしまうのも仕方ない、だけどその欲望を肯定的に描いたものをネットでオープンに共有すな。
鍵無しのツイートは全世界に発信してるのと同じなんだよ。

だいたい、密室に二人きりで性交体位の真似事をさせて、胸を触らせて、何がどう「健全」なんだ?
こないだも、盗撮教師と女児のゲームを作った作者が「非扇情的なのに」と同じような事を言ってたけども。
詭弁はやめようよ。
作者さん達は誰に何がどう響くのか一番よくわかっているでしょう。わかっていてすっとぼけるのをネタとしてやってんの?
まぁ「健全」は要するに、耳かきとかお散歩とかリフレとか、そういう現実のサービス業の謳い文句をネタとして使ってるんだろうけど、現実に日本では未成年者の性的搾取が「詭弁とすっとぼけ」によって罷り通ってることを忘れないでほしい。

あと、こういう創作物に対して批判が出ると必ず「現実と創作の区別が~」「読解力が~」というコメントがつくけれども、まず創作物は人間の現実認識に影響を及ぼすんだよ。
スポーツ漫画を読んでそのスポーツをやりたくなったり、漫画や映画を通して自分のフェチが形成されたり、現実には知らなかった物事に創作物を通して触れて、いいな、嫌だな、と感じた経験あるでしょう。
あるいは、作為的なまとめに触れ続けて特定の国や属性を嫌悪するようになった人なんてそこら中にいるわけで。そういう人は例えば、特定の国の人が何かをやらかした、というフェイクニュースを見てもそれをそのまま信じるし、フェイクとわかった後も「でも○○人ならやりそうなことだ」って言うよね。
ここまで書くと誰と戦ってんの、って笑われそうだけど、はてなやtogetterを目にする人ならすっとぼけないで認めてくれるだろう。
そういう現実、現状が、あるよね?

それはそれとして、単純に創作物を現実と誤認してしまう人は確かにいる。その分野に対するリテラシーが低いとか、創作物自体の表現が巧妙だったとか、単に若くて判別に足る人生経験が無いとか、色々あるだろうけど。
だからこそ、「それが現実だとしたら問題がある」ような創作物には、 「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」の文言が必要なんだよ。

サンタさんを信じてた子供が、一朝一夕で「読解力」とタグ付けできるようになるわけじゃない。 35歳のあなたがコメント欄で嘲笑ってるその相手は12歳かもしれない。 受け手の認知能力、判断力、読解力なんかは千差万別で、だから最低限ゾーニングやレイティングが必要なんだ。

表現の自由が大切だと思う人こそ、創作物の持つ力を侮らないでほしい。
小児性愛者こそ、実在の児童をいかにして守るか、ということを考えてくれ。

表現の自由と性犯罪

性犯罪漫画の手口を真似て性犯罪が行われた事件に関し、警察が当該漫画の作者に申し入れした件について

強制わいせつ容疑の男「漫画を真似」 県警、作者に異例の申し入れ (埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

大前提として、創作物には影響力がある。

現実と創作、二次元と三次元は無関係ではない。(ここでいう現実とは人間の考えや行動、暮らし、その年代の空気、倫理や価値観、法律、社会を構成する集団等、現実の社会そのもののこと。)
創作物には現実が反映されるし、現実は創作物から影響を受け得る。特に個人は容易に影響を受ける。
したがって、創作物を社会に出した作者には、その内容に対し一定の社会的責任がある。
自由は免責のことではない。

ヴォルテールの名言※とされる 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」は、政治的立場の違いや思想・学術的場面における意見の対立についての姿勢であって、糞みたいな罵詈雑言や差別や、まして性犯罪を楽しむ表現等のために引用するのは間違いである。
※実際には彼の言葉ではなく、彼の態度・姿勢を他者がこう評した

「特定の属性が加害される表現(あるいは特定の属性が悪く描かれる表現)」は特に慎重に扱われなければならない。なぜならその描写によっては、その特定の属性を持った個人・集団が損害を被るから。

大人は子供を守るべきであり、子供は保護の対象である。たとえ建前でもその建前は社会で共有されねばならない。

今回の事件では、実際に複数の児童が被害に遭っている。今後同種の事件を未然に防ぐにはどうしたら良いか?警察はそれを考えて行動に出た。
表現の自由!弾圧!規制反対!と警察を叩く前に、あなたが一人の大人として何か考えられることはあるか?
創作と現実は無関係と言い張るならそれでもいいが、被害児童とその親に「何をどうしようと頭のおかしい奴は常にいる、犯罪は防ぎようがない」以外に言えることはあるか。
「同人じゃなく大手商業ならどうなんだ」「漫画じゃなくテレビならどうなんだ」「ミステリーの殺人はどうなるんだ」ではなくて、一人でも被害者を増やさないために、何か策はあるか。

聖書とか神話って、だいたい男が考えて男が伝承してきたものだよね

聖書とか、神話って、だいたい男が考えて男が伝承していったよね、という仮説の殴り書き。

①男「男は女から生まれてくるが、なんとかして女に先立ちたい。だから原初は男の一部から女が生まれたことにしよう。」→『神がまず男を作り、男の一部から女を作る。あるいは男が女を作る。』(ユダヤイスラム、キリスト、ヒンドゥーにおける「はじまりの男女」の物語)
……これが根本的に無理筋。男も女も女体から産まれてくるという圧倒的現実への対抗として捻り出されたお話がこれ。いじらしさすら感じる。

②男「女とヤりたいけど、俺の中にその感情が生まれたのは、先に女が誘惑したからだ。女が誘惑しなければ平和に暮らせていたはずだ。最初に女が男を誘惑するのがいけないんだ。」→『女が神に禁じられた行為をして、更に男を誘惑したため、二人とも楽園を追放される』(アダムとイブ)
……男が女に勝手に欲情したのを、「女がエロいから」「女が誘ったから」ことにしてるだけ。うまく処理することのできなかった感情や行動の原因を他者に転嫁している。それがなぜか、人間の原罪は女の愚かさによって引き起こされたことになっている。
この世に言葉と文字が生まれた当時も、男が女の身体をじろじろ見たり言及したり触ったりしたんだろうなぁ…。当然それを女が拒んだり非難したりするから、「お前らが悪いんやぞ!」って言うためのお話を作ったんだなぁ…。ここ最近の痴漢の話題を思い出すな。

③男「いや、女も生まれた時は男と同様に純粋だったかもしれない。だけど悪い男女に色々吹き込まれて、誘惑に負けてしまうんだろう。だから、悪い女や、俺以外の男を悪魔に設定しとこう。」→『悪がまず女を唆し、女はその誘惑に負けて罪を犯した』(サタン、蛇とイブ)
……「俺は悪くない」のための装置でしかない。神話における最初の人間(男性格)は、要するに書き手・読み手の男が自己を重ねる存在。悪または罪(誘惑)の伝播が蛇→イブ→アダムの構造になっているバージョンでは、「人間」に原罪があると見せかけて実は「俺」の罪(罪責)が一番薄まっている。狡い。

④男「男と対等な立場を望むような女はムカつくから、なんとかして悪魔設定にしよう」→『最初の男女は同時に作られたので、女は男と対等であることを望んだ。しかしそれが叶わないので男のもとを離れた。女は、男の元へ戻らないなら子を殺すと天使に脅されたが、戻らず、子を苦しめる悪魔となった』(リリスの伝承)
……リリスの伝承は色々と混じってるし突っ込みどころ多いんだけど、男女対等を認めないのも、配偶者を脅す/操る/復讐するために「自分の」子を殺すというのも、まぁ女から出てくる発想ではない。
女親の実子殺しはもちろん現実に無いわけではないけど、女も子供も全部object扱いの、交渉材料としての子殺しは女の視点じゃないだろうね。

⑤男「なんかすごい奴がいるから祭り上げたいんだけど、そいつの父親が誰かわからないから母親は処女で生まれたことにしよう」→『マリア、処女懐妊』
……処女懐妊エピは未婚の子、不義の子、または娼婦の子というのを誤魔化すためと言われてるけど。
女体持ちは直観としてこの発想しないような。出産に至るとすれば、相手ありきだし、性交→妊娠→出産は全て自分の身体で・自分の経験として起こる出来事だし。
だいたい「奇蹟」が起こるなら、ヨセフが身籠っても良かったよね。荒唐無稽度合いは変わらんでしょ。

⑥あとはイザナミイザナギ
この男女の神は同時に生まれるんだけど、まず女 (神)が男(神)を誘って交わると障害児が産まれて、逆に男が女を誘うと健常児が産まれる。(障害のある子は海に流す…。)
障害をそういう扱いにするのもアレだし、「女が誘うのが悪い(被害者視点)」と「女から誘うのはよくない(支配者視点)」があるんだなぁ~と、感慨深い絶望を感じる。
イザナミは子を沢山生んで、最後の子を生んだ時に死ぬんだけど、イザナギはその子を殺す。「お前のせいでイザナミが死んだ!」って、最後に生まれた自分の息子を殺すんだよ、やばいよね。
イザナギイザナミのことが忘れられなくて、黄泉の国(あの世)に探しに行く。二人は再会するんだけど、醜く腐ったイザナミを見てイザナギは逃げる。これがもうよくわからない。
本当に愛した人、死んでも会いたい人に再会できたなら、腐ってたって側にいたいと思うのでは?
そんで逃げたイザナギに対して、イザナミは毎日1000人殺すとか言う。イザナギは毎日1500人産むとか言う。
既にイザナギが一人殺してるんだけど。

女は死んで黄泉に閉じ込められ、男一人で子を作り国を作っていく。ちなみにイザナギは最終的に育児放棄しますからね。

うん、確実に男が書いたでしょうこれは。
女側から見たら、
自分がリードした性交時の子は必ず障害があって、沢山子を生んで死んで、子を殺されて、死後の醜い自分を見られて、裏切られて、毎日1000人殺すキラーマシーンになる…なんだそれは…。

怖いのは、国産み・神産みの神話としてこの話がこの形で現代に残ってるということ。それは時の権力者がこれを遺してきたことを意味する。
「こんなのやばいよなぁ、どーしようもなく馬鹿で自分勝手なストーリーだよなぁ」と感じる有権者が一人でも居たら、近代までに編集・改竄・削除されてるだろうから。

改竄、されてるだろうが、されてこれ。
要するにそういうこと

性的暴行被害者への自業自得論

海外旅行に行ったら。

露出の多い服を着ていたら。

クラブ遊びが好きだったら。

人気のない夜道を一人で歩いていたら。

出会いを求めていたら。

ナンパに着いていったら。

前後不覚になるまでお酒を飲んだら。

密室で二人っきりになったら。

ラブホテルに入ったら。

同じ布団に入ったら。

付き合ったら、結婚したら。

上記のいずれかの状況において、本人の望まない性行為が強行された時に、「自業自得だ」「本人にも落ち度がある」と言う外野のひと。または加害の張本人。あるいは自分でそう思ってしまう被害者の方。
暴行は、無理矢理やった相手が100%悪いです。
法律ではもっと複雑ですが、その手前の、あるいは奥の、モラルの話です。

相手が嫌と言ったら続けてはいけない。
NOはNOを意味する。
一方がNOと言う限り、「合意と見なされる状況」というのは有り得ない。

また、「お店の人と一緒にお酒が飲める店」で許されることは、お酒を飲んでお喋りすることだけ。
「お店の人の体を触れる店」で許されるのは、許可されている部位に触れることだけ。
「性行為を撮影できる場所」で撮影が許されるのは、契約内容にある行為のみだ。その契約は、撮影される本人が、冷静に考えられる場所と時間を与えられた上で締結したものでなければならない。
対等かつ心身が自由な状態で、YESやOKを示した時にのみ、行為が許される。

上記に羅列した中の下三行については、「それは仕方ないんじゃないか」と思う人が多いかもしれない。だがやはり、相手がNOと言ったらその時点で行為を止めなくてはいけない。
夫婦間では、一定の営みが法的に認められ得るが、そこは二人の話し合いや交渉で決めていくことであって、法律や判例を持ち出して無理矢理していいことにはならない。

性的加害について、被害者の自業自得ということは有り得ない。相手にNOと言われたのに続けた方、相手がYESかNOか言えない状態で続けた方が100%悪い。

そういった認識が広まってほしいと思います。

ブラック企業に勤めてる奴

ブラックに勤めてる奴は今すぐ辞めろ。辞めろよ。何で続けてるんだ?辞めろ。
他に仕事がない?バイトでいいだろ。派遣もある。心と身体を壊したら終わりだ。今すぐ辞めなくてもいいから働きながら転職を試みろ。
そんな時間無い?そんなとこ辞めるべきだ。そのまま続けて未来は見えるか?
このままでいるしかない?そんなことない。少なくとも今そのブラックで働けているなら、他にも選択肢はある。絶対にある。世界は広い。諦めるな。せめてグレーを探せ。明度を上げろ。

やりたい仕事だから?高給だから?お前がいいならいいよ。でも心と身体を壊したら水の泡だぞ。あと頼むから次の世代に同じことを強要しないでくれよ。お前がお前の判断で納得して潰れるのは勝手だ。いや勝手じゃない、死ぬな、自分を大切にしろ、お前の判断力は既に鈍っている。やりたくないことをしろとは言わんが、やりたいことのために犠牲を払うのにも限度がある。そして犠牲を強要する側に回るのは絶対駄目だ。万が一そのブラックを経て成功しても、その経験を肯定しないでくれ。成功した奴が「あの経験があったから今がある」なんて言った日には、屍の山がひとつ増えるだけだ。もしその仕事や業界が好きなら、ブラックでなくする、ブラックを減らすことを考えてくれ。

いいか、残業時間を自慢するなよ。終電も徹夜も恥だと思え。無給の休出なんてシャレにならん。残業する奴は無能だと言ってるんじゃない。それが仕方のない状況であったにしろ、サビ残や労基法違反の働かせ方を許容していた自分は「加担していた」のだと認識しろ。大人なんだから。皆がNOを突きつけないことで社会の雰囲気が作られていくんだ。否定しないで追従するのは肯定と同じ。お前のサビ残で新卒の若者が死ぬ、そのくらいに捉えろ。NOを突き付けろ。

家族がいる?だったら辞めろ。家族を愛してるなら辞めろよ。努力の方向が違う。転職しろ。いいか、お前がフッと電車に飛び込んだ日には、遺族は地獄だぞ。高給激務ならともかく、不当な安月給で我慢してんじゃねえ。自分に酔うな。家族がいるなら頼れ。相談しろ。家族じゃなくてもいい、第三者に相談しろ。利用できるものは利用しろ。ブラックから逃れる努力をしろ。

法律は守らないといけない。法律はなんのためにある?人間のためだ。人間社会のためだ。現実に即さないと嘯く悪徳経営者、完成された社畜ども、現実に即さないと言うなら法律を変えろ。変えられるよう働きかけろ。法律を変えてから合法適法な労働をしろ/させろ。それが通らないなら、この社会ではお前が間違ってるんだよ。

週休も有給も産休も、労働者の権利だ。忙しいから有給が取れないのは仕方ない?自営業かお前。違うだろ。休め。ただでさえ少ない有給だ、完全消化しろ。お前が有給完全消化しないことで、新人や未来の社員の有給を奪ってると思え。

これから働こうとしてる人、あるいは社会人1~2年目の若い人達、ブラックだと気づいたらすぐに逃げろ。死ぬな、逃げろ。いくらでもやり直しはできる。違法は違法だ。不当な扱いには徹底的にNOを突き付けろ。会社に貢献できてないとか、利益を出せてないとか、そんなことで引け目を感じる必要はない。赤ん坊は泣くことが仕事だし、子供は遊ぶのが仕事、学生は勉強が本業だ。新社会人は、失敗し試行錯誤しながら成長していくのが仕事だ。後々利益を出すことを目標に、少しずつ学んでいけばいい。 業務時間内にな。

とにかく、違法労働には一人一人がNOを突きつけないといけない。わかってやってる経営者に関しては言うまでもないのだが、雇用されている側で、「仕方なく」働いてる奴。仕方なくなんてない。お前は悪くない、被害者だ、だけどその状態を受け入れたら既に加害者になりかかっている。大人として、いち社会人として、良くないものは良くないと言わねばならない。あなた達が、いや私たちが、日本社会の雰囲気を形成しているという認識を持とう。

ブラック企業はNO、違法労働はNOだ。

妻のことを嫁って呼ぶの、いいかげん止めよう

夫や夫の知人が、妻を「嫁」と呼ぶことについて。

現代の用例としてそれが間違いでないのはわかってる。わかっているが、「嫁」はやはり「息子(さん)の配偶者」の名詞としてのみ使ってほしい。基本的には「嫁」は「婿」と対応している。
結婚式では、新郎新婦を花婿と花嫁と呼ぶことがある。これは「婿と嫁」がそれぞれの親/家から見た立場を指しているからであって、一対一の関係では、お互いはあくまでも「夫」と「妻」である。婿と嫁の関係にはない。

男性が配偶者のことを「うちの嫁」と言ったり、その友人が「お前の嫁(さん)」と言っているのは比較的見聞きするが、
そういう人達は、自分が妻やその友人から「うちの婿」「あんたの婿」と呼ばれていても構わないのだろうか。
こういう時、「それは嫁が俺の名字に変えたからであって、もし俺が嫁の名字に変えてたら、嫁に婿と呼ばれていても納得できる」という反論もあるかもしれない。が、その場合の婿呼びが普通になったら、婚姻に際し女性の名字に変えてもいいという男性は今よりも減るだろう。その方が夫婦別姓も選択できるようになっていいかもしれないが。

以前流行った「○○は俺の嫁」というフレーズも、「俺の妻」ではなく嫁なのは、より「俺のもの」というニュアンスが強いからではないか。この場合の○○は人格を持った一人の自立した人間ではなく、単なる○○の所有権アピールに近い。二次元に配偶者がいる方は、試しに「○○は俺の妻」と言ってみてほしい。○○さんの存在が俄然リアルに立ち上ってくるのではないだろうか。

男性のほとんどは、なんでそんなこと気にするんだ、と思うかもしれない。既婚女性でも、私はそんなこと気にしないと思う人もいるかもしれない。
だけど、物事を捉えるということはまず言葉からはじまる。ほとんど形骸化しているような呼び名や漢字でも、些細なことが少しずつ、使う人の意識や関わり合い方に影響する。

妻の嫁呼びが浸透し、夫の婿呼びが皆無であることは、根本的に既婚女性を既婚男性より軽んじることに繋がりかねない。あるいは今の現状では、女性のみを家の付属品とする考え方がいつまでたっても消えない。
だから、些細なことだけど、嫁呼びは止めてほしい。

それでも嫁呼びを続ける男性は、なんで妻と言わずに嫁と言うのか、理由を教えてくれ。

藤原紀香は何であんなに叩かれてるの?

藤原紀香が結婚して、記者会見を開いた。 このことについて、テレビのニュースでもネットのニュースでも、謎の扱き下ろしがひどい。

何で?

コメント欄が叩きで溢れるのは嫉妬として理解はできるんだけど、メディアまでこぞってバッシング記事を書くのは何故なのか? バーニングの社長の指示なのか?

この件に関して叩いてない記事はあまり無かったんだけど、以下のような解説をしている記事があった。 

news.livedoor.com

“A氏が反対している結婚ということで、今回の愛之助の結婚についてならどれだけバッシングしても問題ないだろうというのが、スポーツ紙をはじめとする主要メディア側の判断なのです”とあるんだけど、それはバッシングすることでそのメディアが得するか、しなければ損するということ?

おめでたい発表の席で、何の落ち度もない女性に対して「嘘をついてる」「自分に酔ってる」「ドヤ顔」「でしゃばり」「梨園の妻失格」と罵倒するなんて、倫理的におかしいのでは。ひどいことに、そういう報道に対して反論した彼女を更に叩く記事も出ている。

Twitterでは、たとえば以下のようなツイートが1000以上RTされてる。

藤原紀香さんが「人として涙が出ました」ってコメンしてたんだけど、「ブタとして笑いました」とか「鳥として怒りました」とか聞いたことないし、やっぱり紀香の日本語は独特だなって思った。”

いやいや、「人として」の意味わかるでしょ。芸能人で、女優で、女性で、梨園の妻で、色んな立場を持つ彼女だけど、そういうの取っ払って、生身の一人の人間として傷ついたって訴えてるんだ。番組を作る人も、マイクを持つ人も、記事を書いた人も、それをネットに上げる人も、ツイートする人もRTする人も、諸々に反応してバッシングする人達も、皆同じ「人」という共通点があるわけで。同じ一人の人間として、彼女の気持ちを少しでも想像できないのだろうか。はっきり言ってこれはリンチである。(「私刑」の意味合いからすれば、彼女は罪を犯してないわけだから、リンチというより集団いじめの方が正しいかもしれない。)

百歩譲って、言動に落ち度があったならまだ理解できる(対象に落ち度があったならいつまでもどこまででも叩いていいという風潮は早く消えて欲しいが)。しかし、今回の件では彼女の言動に問題は無く、どのメディアも明らかに無理矢理難癖をつけていて、異常さが際立っている。

日本死ねとは言わないが、日本怖すぎるよ。

一人の女性が大切な人を見つけて、新しい一歩を踏み出そうとしてるんだから、普通に祝福してあげりゃいいじゃん。

なんだか気にくわない人っては、ほっとけばいい。あなたは藤原紀香の結婚に言及しない自由がある。

紀香さん、おめでとう、頑張れ。